属性:30代、男。妻と猫とで暮らしています。
資格:社会福祉士・精神保健福祉士
仕事:資格を活かして福祉現場で働いています。精神障がい、知的障がい、児童福祉・虐待分野での実務経験。相談支援専門員、障害支援区分認定調査員経験あり。
趣味:読書、運動、ブログ
このブログでは関西出身の「カピバラくん」も登場します。あるときは支援者、またあるときは利用者・患者さんとしていろんなギモンをぶつけていきます。

よろしく!
ぱーぱすの経歴
現在は某福祉施設にて、職務内容、収入ともに充実した毎日を送っています。
でも、私の人生は「今、ようやく落ち着いた」という感じです。
挫折が二度ありましたし、30歳程になるまでずっと「生き辛い人間」だったのです。
経歴詳細
- 198x年 某県に誕生
- 200x年 偏差値70越えの高校に受かってしまう
- 200x年 大好きな音楽のために工業大学に入学しデジタルコンテンツについて学ぶ
- 200x年 自分の音楽の才能を確かめる為に世界的に有名な芸術大学へ挑戦するため休学
- 200x年 芸大入学失敗。浪人するが再失敗。挫折感を引きずりながら音楽を諦めた
- 200x年 音楽を諦めて空っぽだったが、福祉の世界を知る
- 同年 復学&単位取得をして福祉大学へ編入
- 201x年 社会福祉士&精神福祉福祉士の国家資格取得
- 201x年 精神科の医療機関に就職 デイケア相談員として働く 二度目の挫折
- 201x年 某福祉施設へ転職 精神保健福祉士として働く
- 201x年 某福祉施設へ転職 社会福祉士として知的障がい児や被虐待児を支援
挫折を越えて
挫折を2回経験しています。
1回目は音楽を諦めた時です。
「なんでこんな人生なんだろう?」と、数年間苦しみ続けていました。自らの生きる意味にまで疑問を感じていました。
偏差値の高い高校に入学できたのだから、そのままレールを走っていけば順調な将来が待っていたはず・・・。
でも、私は「音楽家になる」という夢をいだいて、そのレールから外れたのでした。
しかし、一度レールから外れたら、はい上がるのは絶望的な社会。かつての旧友達は順調に進学していましたが、彼らとはもう別世界でした。
私は挫折を乗りこえるべく、福祉業界にとびこみました。
自分のことばかり考えている人間でしたが、「人の役に立ちたい」「社会をより良くしたい」と思ったのです。
しかし、2回目の挫折が待ち受けていました。
人生2回目の挫折
社会福祉士・精神保健福祉士の資格合格で1回目の挫折を乗り越えた
私は大学卒業と同時に社会福祉士・精神保健福祉士の資格取得に成功しました。
合格証書を受け取り「ようやく音楽の挫折を乗り越えた」と思いました。
音楽の道を諦めて、福祉の世界に飛び込んで、ゼロからのスタート。
秀でたスキルもなく、コミュニケーションも苦手。でも、資格を手にいれて「ようやく形にできた!」と思ったのです。
社会人1年目 虚勢を張って自分を守っていた日々
初めての就職先は精神科クリニックで、デイケア相談員として働きだしました。
精神科デイケアは、精神疾患の再発防止や社会復帰・社会参加を目的に、様々なプログラムがあり、リハビリテーションを行うところです。家から通う場所ですね。
私は、精神障がいのある方々を10名ほど担当することになりました。
「私が頑張ればこの人はきっと良くなる!」「今に見ていろ!」「出世してやる!」
本当は自信がないので、虚勢をはっていたのです。(自分でそうとも気づかずに・・・。)
人の悩みや痛み、気持ちを想像も理解もできていませんでした。
人が悩み、戸惑う感情をわかろうとしなかった。揺れ動く気持ちをわかろうとしなかった。
「白か黒かはっきりして欲しい」と思っていました。
利用者さんの気持ちを読み間違え、支援も間違っていました。(支援とは、正解はないのに不正解はあるのです)
それなのに、先輩・上司の助言や指導をはねのけて、独りよがりな支援を続けました。
私は職場にたくさんの敵をつくりながら、自らが正しいと信じて戦い続けていました。
社会人2年目 人生2回目の挫折
そうした日々を続け、社会人2年目。虚勢を張り切れず、空っぽな自分自身に気づくきっかけがありました。
ある患者さんが、私が関われば関わるほど、病状も生活も悪くなっていきました。
果てに、その患者さんの症状は再燃して、精神科病院に入院されることになりました。
院長からは

院長
お前のせいで患者が減った。
「お前を雇って利益になったか?むしろマイナスだ。」とも言われました。(今思うとパワハラでしょうけど当時は何も言えませんでした)
患者さんが入院したことで自信を喪失していた私はもう、虚勢を張れませんでした。
虚勢は自らを守るバリアでした。そのバリアが無くなった私は一転して
「この仕事に向いていないんじゃないか?」
「私が関わったら、みんな悪くなってしまうんじゃないか?」
「関わらない方が良いんじゃないか?」
思い悩むようになりました。再び私は暗闇の中に体を沈めていきました。
「どうしてこんな人生なのだろう?」
「音楽家を諦めなかったら良かったのに・・・」
心から出血し続けているような日々でした。
仕事に行きたくなかったです。
休日になっても疲れ切って動く気になれませんでした。
思い描いていた人生と違う挫折感と失望。
偏差値70の高校に入って自信をもっていた頃の私は、もういませんでした。
むしろ、良い境遇を知っていただけに現在との落差が大きく、みじめでなりませんでした。
「もっとできたはずなのに・・・」
情けなさと後悔で一杯でした。
職場に敵ばかりを作ってしまった私。上司からは

もう辞めたら?
ハッパなのかパワハラなのかよくわからない言葉をかけられるなか、職場と私をつなぎとめていた糸は切れてしまいました。
「ここではもう働けない・・・」「だったら辞めてやる!」
福祉以外の仕事に転職することも考えました。
でも、音楽を諦めて福祉の業界に入ったのに、さらに中途半端になってしまうのではないか・・・。
福祉の仕事は、好きではない。嫌いでもない。自信もない。
けれど、他の選択肢も無いように思えた私は、福祉の仕事を続けることにしました。
転職先は、地域の障がい者施設でした。
転職後 ある上司との出会いに救われた
それなりに仕事を続けるうち、数年たちました。
でも、福祉の仕事は辛いことが多く、周りの先輩達と比べて劣等感ばかり感じていました。
30歳になろうかという年の私に、幸運が訪れました。
ある上司との出会いでした。その上司はとても厳しく、熱心な方でした。
社会福祉士や精神保健福祉士の仕事、支援への真剣さゆえの厳しさでした。
私は毎日のように叱られました。
社会福祉士や精神保健福祉士が目指すことは何か?
利用者の利益を最優先に支援できているか?
社会人としての業務姿勢はどうなのか?
チームとして仕事をする気配りはできているか?
指摘され、教えてもらったことは数知れません。
上司のことは、とにかく怖かったです。一日一日が長く、辛く、「早く過ぎてほしい」と思う日々でした。
しかし、1年経つころに変化があらわれました。
いつの間にか上司は、私の支援を信頼してくれるようになっていました。
周りの反応が変わっていました。
ある時、上司に言われました。
「ぱーぱすは変わったな」
私は驚きました。
「そうか。変化したのは私自身だったのか・・・。」
この上司と仕事をしたのは1年間だけでしたが、今でも私の恩師です。
今の私、社会福祉士や精神保健福祉士の仕事への姿勢は、この時期にできあがりました。
「福祉の仕事は好きでも何でもない」と思う時期が長かったですが、福祉の仕事を続けてきて本当に良かったです。
振り返って気づいたことは、社会福祉士・精神保健福祉士の仕事の魅力は、自分自身が変わるということです。
一言でいうなら「人生が変わる」ということです。下記記事でも詳しく話しています。

ブログを書く理由3つ
福祉業界のためになるから
「福祉に向いてないんじゃないか」
「仕事は好きでも嫌いでもない」
「社会福祉士や精神保健福祉士にならず、音楽を続けていた方が良かった・・・」
このように悩みながら、たいしたモチベーションもなく続けてきた福祉の仕事。なのに、今では仕事でもプライベートでも支援のことを考えています。
社会福祉士・精神保健福祉士の仕事の魅力を伝えしたい。
やりがいも苦労も楽しみも含めて、リアルを伝えたい。
挫折経験を役に立たせたい。
自分自身のためでもあるのですが、このブログの情報が福祉関係の皆さまの役に立てば、支援を受ける方々の生活も良くなるはず、と信じています。何かに自分が役立てている感覚が嬉しいんですね。
リアルの仕事に活きるから
仕事のことを思い返したり、調べたりしながら書くので、これまた仕事に活きるんです。言語化するプロセスになるんですね。
なので、仕事のパフォーマンスが上がりますし、仕事で感じたことがブログのネタになったりもするわけで。仕事とブログの相乗効果のサイクルがたまらなく面白いのです。
文字にしたいから
どうやら私はブログのように自らの考えなり主張なりを文字に起こすことに喜びを覚える人種のようです。こうやってブログを書いているプロセス自体が好きです。なんだかスッキリするんですよねえ。
【余談】ブログタイトル「しゃふくさん」の理由
社会福祉士は通称「しゃふく」とよばれています。
その「しゃふく」をブログタイトルに入れたかった私は、ブログを書いている友人に相談し、「しゃふくさん」となりました。
この友人はいまだにブログ改善のアドバイスをくれます。
彼がいなければ、パソコン音痴な私がブログを書くことは無かったと言い切れます。
ブログに引き合わせてくれた友人には感謝の思いでいっぱいです。