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私のソーシャルワーカー人生を変えた6人のモデル【14年の歩み】

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私は、社会福祉士・精神保健福祉士の資格を取り、10数年、働いてきました。

振り返ってみると、仕事の向き合い方やものの見方をガラッと変えてくれた人たちが6人います。

一方で、「この人みたいになりたい」と思える人に、なかなか出会えない時期もありました。

切磋琢磨できる同期がいないと感じて、孤独感や物足りなさを抱えていた時期も正直あります。
むしろ、そう感じる期間の方が長かったかもしれません。

それでも今振り返ると、私は人に恵まれてきました。

今の仕事の向き合い方、「仕事を伝える仕事」への思い、ソーシャルワーカーという専門職の価値、知識や技術の深さ。
その多くは、具体的な「人」から教わってきたものです。

この記事では、今の私のモデルとなっている6人について書いていきます。
きれいごとではなく、私のリアルな体験として、「人が人を育てる」という事実を書き残しておきたいと思います。

筆者:ぱーぱす(社会福祉士・精神保健福祉士)
自治体で働くソーシャルワーカー。児童相談所などでの実務経験をもとに発信。
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1人目:大学ゼミの先生──「社会福祉士・精神保健福祉士の具体像」をくれた人

1人目は、大学時代のゼミの先生です。

この先生は、とても誠実で、知識が広く深い人でした。
何より、相手に誠実に関わる姿勢が徹底していて、学生に対しても決して甘やかさず、的確な助言をくれました。

私はこの先生のもとで数年間学びました。
学生の頃、ゼミ室を何度も訪ねて、いろいろな相談をしていました。

  • 説明がうまくできないこと
  • 集団の会話にうまく入れないこと
  • 同じ学年の人の特性についてモヤモヤしていたこと
  • 友人たちと専門職の勉強グループを作ろうとしていたこと

本当に、よくもまあこんなに相談したなというくらい、いろんな話を聞いてもらいました。
一つ一つ、丁寧で誠実な対応を重ねてくれた先生です。

この先生から、私は「社会福祉士・精神保健福祉士の具体像」を得ました。
「この先生のように人と向き合いたい」「この先生のように知識と誠実さを両立させたい」。
そのイメージは、その後出会う利用者さん、患者さん、クライエントの方々への関わり方に、そのままつながっていきました。

それまで私は、学校の先生に対して特別な感情を抱いたことがありませんでした。
もちろんお世話にはなっているのですが、「この先生に深く関わってもらった」と思える人は、正直ほとんどいませんでした。

たぶん私は、「特に問題もなく、目立たず、放っておいても大丈夫な生徒」として扱われていたのだと思います。

だからこそ、少人数制のゼミで、先生との関わりが濃くなったことは、私にとって大きかったです。
私はゼミで積極的に発言していましたし、そこから関わりが深まり、尊敬の念を抱くようになりました。

今でも年に何回かお会いする機会があります。
この先生は、今も私のモデルです。
この先生に出会えて、人生が変わったと本気で思います。

2人目:社会福祉士実習の指導者──「人権への違和感」を言語化してくれた人

2人目は、社会福祉士実習で出会った実習指導者のソーシャルワーカーです。
実習先は病院で、MSWの現場でした。

私の担当をしてくださったのは、落ち着いた雰囲気の女性のMSWでした。
素敵で、誠実で、学生に対しても決して横柄な態度を取らない人でした。
私のような若い学生相手でも、きちんと一人の人として尊重して関わってくれていました。

当時、私は「ソーシャルワーカーって、こういう人が多いのかな」と、少し勘違いするくらいでした。
それくらい、印象が強かった人です。

ある日、実習先でしんどい出来事がありました。
業務時間は終わっていたのですが、その出来事を引きずったまま実習担当者のところに戻りました。
そこで、私は自分の葛藤を話しました。

しかし、うまく言葉にできない。

そのとき、この実習指導者は、私が言いたいことを言葉にしてくれたのです。
私がモヤモヤしていたのは、「人権」に関する感覚でした。
それを、この人はちゃんと察してくれて、言語化してくれた。

忙しい中でも、私の話に耳を傾けてくれた光景は、今でも忘れられません。

近年、私は社会福祉士実習の実習指導者向け講習会を受講しました。
その体験を記事にしたのが、こちらです。
▶ 社会福祉士実習指導者になるには?要件・講習会|体験談&まとめ情報

そこで、普段の業務をこなしながら学生の指導を行うことが、どれだけ時間も心も削る仕事なのかを改めて知りました。

当時の私は、その重さを理解していませんでした。
「当たり前にやってもらっている」と、どこかで軽く捉えていたところがありました。
10年以上たってから、ようやく当時の関わりの尊さと重さを理解できるようになりました。

今思うのは、感謝です。
この人の働き方、仕事への向き合い方も、今の私のモデルになっています。

3人目:転職先で出会った女性上司──「叩かれながら育ててもらった」ソーシャルワーカー

3人目は、転職した先の相談支援の現場で出会った、女性のソーシャルワーカーの上司です。
今の私と同じくらいの年代の方でした。

この上司は、とても厳しい人でした。
正直なところ、今振り返るとパワハラと受け取れる側面もあっただろうと思います。
実際に怒鳴られることもありました。

それでも、不思議なことに、怒られた内容にはいつも納得していたのです。
クライエントのために何が良くて、何がまずいのか。
自分がやっている対応の何が良くて、何がダメなのか。
その点について、たくさんの助言を受けました。

今の私があるのは、いろいろな人が私に言葉をかけ続けてくれたからです。
至らないところを指摘し続けてくれたから、育ててくれたから。
この上司の関わりは、まさにその代表です。

この上司から教わったこと

この上司から教わったことは、いくつもあります。

ソーシャルワーカーは事実を積み上げる仕事だ

まず一つ目。
ソーシャルワーカーは、事実を積み上げる仕事だ」と教えてくれました。

困難なとき、不安なとき、どうしたらいいかわからないとき。
原点は、目の前にある事実から始めること
これは、児童相談所で働いている今でも通用する原則だと感じています。

ミスをしても、自分でキャッチアップせよ

二つ目は、ミスをしても、自分でキャッチアップしようとすることです。

当時の私は、うまくいかなかったり失敗したりすると、上司に何とかしてもらおうとするところが残っていました。
「もうダメだ」と自分であきらめてしまい、どこか投げてしまうところがあったと思います。

この上司は、「キャッチアップすればいい」と言ってくれました。
完璧にできなくてもいい。
リカバリーを試みることで、ある程度解消できることもある。

その感覚を、ここでやっと身につけていきました。

目的を考えよ

三つ目は、目的を考えることです。

何のためにその支援をするのか。
何のためにその行動を選ぶのか。
その意図を持って、一つひとつの支援や判断を行うこと。

私は当時、「相手が言ったからやる」「なんとなくこうだろうと思うからやる」という感覚的な仕事の仕方をしていました。
まさに”福祉の福は、服従の服”状態でした。

それに対して、毎日のようにフィードバックを受けていました。

私は毎日、前日の仕事を報告していました。

  • どのような対応をしたのか
  • クライエントとどんなやりとりをしたのか
  • その結果、どうしようとしているのか

たいていの場合、「なんでそんなことしたの?」「で、その先をどうするつもりだったの?」と問われます。
めちゃくちゃ怖かったです。
そして私は、その先を考えていなかったのです。

あるときから、報告の最後に
「だから、今後はこう対応しようと思います」
と、自分の方針を添えるようになりました。

そこから、怒られる回数は少しずつ減っていきました。

今思えば、当時の私は本当に「面倒くさい、手のかかる部下」だったと思います。
それでも関わり続けてくれたことには、今は感謝しかありません。

この職場で私は、

  • 周りのために仕事をするという文化の中で働き
  • 自分の弱さを認めること
  • 強がらず、弱さに謙虚であり続けること
  • 意見を飲み込まず、その場でちゃんと伝えること

こうした姿勢を徹底的に叩き込まれました。

「ソーシャルワーカーは、話してなんぼ・伝えてなんぼ」
この感覚を、ここで徹底的に学んだと思います。

4人目:次の男性上司──「肯定される働き方」を教えてくれた人

4人目は、その次に出会った男性の上司です。
やはり、当時の私と同じくらいの年代の人でした。

この人は、言葉が巧みで、ユーモアがあって、かっこよくて、影響力のあるタイプでした。
カリスマ性もありましたが、決して威圧的ではありませんでした。

それまで私は、前述の上司に「バシバシ叩かれて鍛えられる」スタイルで育てられてきました。
一方で、この男性上司は、私を肯定的に評価してくれました。

  • 私がやりやすいように仕事を任せてくれる
  • 必要なときには的確な助言をくれる
  • 自分の知識も惜しみなく共有してくれる

男性のソーシャルワーカーと一緒に働く機会が少なかった私にとって、この人は貴重なモデルになりました。

この人の話し方・伝え方・説明の組み立て方は、今の私にも大きく影響しています。

一緒に働いた期間は1年間ほどでしたが、当時の相談支援事業所での時間は、今思えば純粋に「楽しかった」と感じられるものです。

私は、ソーシャルワーカーの仕事について
「面白い」「興味深い」と感じることはあっても、
今なお「楽しい」と現在進行形で表現することはあまりありません。

それでも、この1年間だけは別です。
美化も多少入っているとは思いますが、狭い事務所で、
「みんなで肩を寄せ合って働いていた日々は、本当に良かったな」
と、今でも思います。

当時一緒に働いていた3人は、今ではそれぞれ別の道を歩んでいます。
同じように語り合うことは難しくなりましたが、
それでも「あの1年は楽しかった」と、素直に言える時間でした。

5人目:児童指導員時代の上司──「子どもへの誠実さ」を見失わない人

5人目は、児童指導員として働いていた時期に出会った上司です。

この上司とは部署の違いもあり、毎日深く関わっていたわけではありません。
それでも、私の中では強く印象に残っています。

私は「児童指導員」ではありましたが、そもそもその名称自体に違和感を抱いていました。
▶ 児童指導員という名称に違和感を覚える理由|社会福祉士が語る指導の本質

現場の職員の子どもへの関わり方にも、

「偉そうだな」
「そんなことを言ったら傷つくだろう」
「子どもだからと高をくくっていないか?」

と、かなり批判的な目を向けていました。

かといって、自分自身の対応に自信があったわけでもありません。
何が良いのか、手応えもあまり得られず、暗中模索の状態でした。

日々の忙しさの中で、
「何が正しいのか」
「誰が子どもに誠実に関わっているのか」
見えなくなる時期がありました。

そんなときに、この上司だけはブレなかったのです。

  • 子どもの気持ちに寄り添う
  • しかし、必要な規範もきちんと示す
  • その両方をバランスよく持ちながら関わる

そして、仕事もできる。
そういう人でした。

今でもときどき関わる機会がありますが、この人の前ではつい畏まってしまう自分がいます。
どこかカリスマ性があって、「この人の背中を見ていたい」と思わせる人です。

6人目:現在の児童福祉司の上司──「ソーシャルワーカーをやめずにいられた理由」の中心にいる人

6人目は、現在の児童相談所での上司、児童福祉司としての上司です。

おそらく、今の私が児童福祉司としてここまで続けていられるのは、この人の存在が決定的だったと思っています。

この上司がいなければ、私はすでに児童福祉司を辞めていたかもしれません。
もしかすると、ソーシャルワークそのものから離れていた可能性すらあります。

それくらい、仕事にも、人生にも、これからの生き方を考える上でも、大きな影響を受け続けている人です。
本当に尊敬しているし、出会えて良かったと心から思っている人です。

そして、正直に言えば、恐ろしく怖く、厳しい人でもあります。
ただ、その厳しさは、人を深く理解しようとする姿勢とセットになっていると感じています。

この上司のすごさ ― 価値・知識・技術の三本柱

ソーシャルワーカーには、よく
「価値・知識・技術の三本柱」
が重要だと言われます。

この上司は、その三本柱のどれもが高いレベルで備わっている人です。
価値がなければ、知識も技術も悪用されてしまいます。
しかしこの人は、価値も知識も技術も、すべてが揃っている。

だからこそ、厳しい判断もできるし、優しいだけではない冷静さもあります。

特にすごいと感じるのは、想像力の精度です。

  • 相手の言葉だけでなく、行間や表情を読む
  • 一つの話から、その背景を想像する
  • 大人の話と子どもの話から、家庭の中の状態を思い描く
  • 一緒に働く職員や関係機関の人たちの間で、今どんな人間関係が形成されているかを想像する

こうした想像力の精度が、とても高いのです。

さらに、「この人には何を依頼できて、何を依頼すべきでないか」の見立ても的確です。
できないことは基本的に依頼しない。
その人にとって現実的に可能かどうかを見極めたうえで、依頼の中身や言い方を考える。

これはまさに、「変えられるものと変えられないものを見極める力」そのものだと思います。

私は、この上司のもとで働きながら、
「関わる全ての人をアセスメントすること」
の重要さを痛感しました。

アセスメントは、クライエントにだけするのではない。
関係機関、同僚、部下、上司、全方位に行うもの。

そして、

  • この人には託せる
  • この人には託すべきではない

この判断を背負う立場の重みを、身近で見せてもらっています。

私が受け取ったバトンと、これから渡していきたいバトン

ここまで書いてみると、私は本当に「人に育ててもらってきた」と感じます。

自分で言うのもおこがましいですが、
共通しているのは、
「出会いを受け身で終わらせなかったこと」
かもしれません。

  • ゼミの先生に、自分から何度も会いに行ったこと
  • 厳しい上司に対しても、逃げずに報告と相談を続けたこと
  • 「この人だ」と思ったソーシャルワーカーに、自分から飛び込んでいったこと

私は、腐りそうになる時期をたびたび経ながら、最後の一歩では自分から飛び込んできたように思います。

「この人のもとで働きたい」
「この人に教わりたい」

そう感じたとき、自分から意見を表明し、周囲にも相談し、何とかそこにつながる努力をしてきました。

その結果、今の私があります。

  • 周りの人たちへの感謝
  • モデルとなってくれた6人への感謝
  • そこで受け取ったバトンを、これから誰かに渡していくこと

これが、今の私の責務だと思っています。

正直、とても重たい責務です。
それでも、私なりのやり方で、少しずつ返していきたいと思っています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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▶14年間の働きを支えてくれたのは、人だけではありません。
正確には、本を通して、もっと多くの人から教わってきたのだと思います。
救いになった本、背中を押してくれた本、考え方を変えてくれた本。
そうした数々の書籍を紹介しています。

▶知識を備えることは簡単です。しかし、本当に大切なのは実行すること。現実に落とし込むことです。
紹介した本を読みながら、私は生活習慣や働き方を改善してきました。
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