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「福祉の心」って何?我慢と自己犠牲を強いる言葉になっていないか

hukusinokokoro

君はまだまだ“福祉の心”が足りんなっ!

こんな風に言われたら、心のどこかで思う。
「そもそも“福祉の心”って、なんなんだ?」

福祉の現場で耳にすることもあるけれど、
意外としっかり説明できないこの言葉。

アドボカシー、自己決定、共生社会……
これらと同じように「良いこと」として掲げられながら、
使う人によって意味がバラバラになっている言葉でもあります。

今回は、篠原拓也さんの著書『福祉の心って何だろう』を手がかりに、
現場のリアルな視点から「福祉の心」を考えてみます。

筆者:ぱーぱす(社会福祉士・精神保健福祉士)
自治体で働くソーシャルワーカー。児童相談所などでの実務経験をもとに発信。
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「福祉の心」って、結局なんなのか?

正直に言って、私自身、説明できません。

  • 「困っている人を助けたい気持ち」
  • 「思いやり」
  • 「奉仕の精神」

そんな言葉でまとめられがちですが、
それだけでは現場のリアルには通じない気がします。

福祉の仕事は、人の人生に関わる専門職。
だからこそ、言葉をどう使うかに敏感である必要があります。

私はこのブログでは、なるべく「きれいすぎる言葉」を使わないようにしています。
読む人によって解釈が違うし、何より私自身がまだ説明しきれないから。
……というより、定義するのがとても大変だから(汗)

「福祉の心」が悪用されるとき

篠原さんの本の中には、印象的な一文があります。

「福祉の心ってやつで、自己犠牲を頼むよ」といったけしからん悪用があるときには、逆にこれを投げ返していく必要がある

引用元:篠原拓也『福祉の心って何だろう』(2020)

そう、「福祉の心」という言葉は、時に便利に利用されてしまうのです。

「福祉の心があるなら、我慢して」
「子どものために、少し無理して」
「やりがいがある仕事だから、報酬は気にしないで」

――こんな風に、“善意”を利用して人を働かせる言葉になってしまうことがあります。

実際、私の経験でも、
サービス残業が当たり前、休日出勤も無給、
残業申請書すら存在しない職場もありました。

「福祉の心」を掲げる職場では、
「働く人の心」がすり減っていないか。
まずはそこに目を向けたいです。

歴史をたどると、「善意の福祉」に由来している

そもそも日本の福祉の原点には、宗教や慈善活動の影響があります。
社会福祉の父』と呼ばれる糸賀一雄氏もクリスチャンであり、
近江学園で働く職員に、こんな条件を求めていました。

  • 四六時中勤務
  • 耐乏の生活
  • 不断の研究

……恐れ多いですが、今の感覚からすれば完全にブラック職場ですよね。

ただ、戦後の混乱期は“生きることそのもの”が大変な時代。
福祉も「労働環境」なんて言ってられなかったのでしょう。

でも、今の時代は違う。
善意だけで回す時代は、もう終わっている。
私たち福祉職も、しっかりと働きに見合った収入をいただきたい。

それを正直に言える社会であってほしいと、私は思います。

「福祉の心」を支配の正当化に使われていないか

社会福祉学者の安藤順一は「福祉の心」という概念が求められる背景に、
他者を機械のように所有し支配(コントロール)しようとする人間の欲求への憂慮があると述べています。

引用元:篠原拓也『福祉の心って何だろう』(2020)

つまり、“福祉の心”という言葉は、
「支配の正当化」に使われていないかということ。

自分をないがしろにされてまで、他者を助けることではありません。
自分を大切にすることは、
他者を大切にすることに通ずると思います。

自分を犠牲にしすぎた支援は、どこかでほころびが生じる。
支援の内容にも、歪さを伴う。
私はそう考えます。

まとめ 「福祉の心」は“我慢の言い換え”ではない

「福祉の心」という言葉は、美しく響きます。
でも、その裏に我慢・犠牲・搾取が隠れていないか。

長時間労働、休日出勤、自己犠牲。
当たり前にさせられていないか。

「福祉の心」を掲げられたら、
なにより、「私たちの心」を守ることに立ち返りたいですね。

≫Amazon 『福祉の心ってなんだろう』

篠原拓也さんの『福祉の心って何だろう』は、
いろんな立場の人が「福祉の心」をどう捉えているかを整理した一冊。
哲学的だけど読みやすく、現場経験者にもおすすめです。

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