いつもより文体が堅めかもしれませんが、その点はご容赦ください。
救えなかった職員のこと
救えなかった職員がいる。
私には救えなかったと思っている職員がいる。
結果として、その後輩は辞めていってしまった。
あるいは、メンタル不調になってしまったという意味でもある。
何人か思い当たる人はいるが、今回はその中の一人について書きたい。
新卒で現場に立った彼女
新卒の女の子だった。
とても頑張る子で、真面目だった。
自分の悩みや仕事の悩みを、きちんと周囲に相談できていたし、責任感もあって、児童相談所の職員としての対応もしっかりしていた。
それまで学生で、ある意味では「子ども扱い」されていた立場の人が、いきなり現場に出る。
親に対して、保護者に対して、子どものことについて話さなければならない。
時には「指導」と言われる関わりをしなければならないし、注意喚起を求められる場面もある。
正直、気持ちが追いつかない仕事をさせられているな、と私は思っていた。
一緒に働いた時間
それでも、なんとか支えたいと思っていた。
実際に一緒に仕事をする場面もあり、私の仕事を助けてもらうこともあった。
定型的な記録作業などをお願いすることもあり、そのおかげで私自身が自分の仕事に集中でき、その時期を乗り越えられた部分もあったと思っている。
ただ、時間が経つにつれて、彼女の役割や仕事量は少しずつ増えていった。
体が、心が、ついてこなくなっていった
1年以上が経ち、2年目に入った頃、徐々に体が持たなくなっていたように見えた。
うまく自分を許すことができず、休むこともできない。
仕事が常に頭から離れず、有給休暇を使うことにも難しさを感じている様子だった。
その不器用さは、彼女を苦しめていたように思う。
ただ、その不器用さは真面目さの裏返しでもあり、彼女がこれまで人生を生き抜いてきた、生存戦略の一つでもあったのだと思う。
彼女は最後まで、そのやり方を手放すことがなかった。
退職という結果
私だけではなく、周囲の多くの職員が彼女のことを気にかけ、さまざまな助言をしていた。
最終的に彼女は仕事を休み、そのまま戻ってくることはなく、退職した。
私も仕事の悩みを聞くことがあったし、続けるべきかどうかを相談されたこともあった。
正直なところ、私は続けてほしいと思っていたし、応援もしていた。
期待してしまっていた
彼女の苦しみは、私自身の過去と重なる部分が多く、昔の自分を見ているようでもあった。
だからこそ、「きっと続けられるのではないか」と、勝手に期待していたところもあったのだと思う。
今でも考えると、そう感じる。
本当に貴重な人材だったと思う。
だからこそ、いなくなってしまったことは、私にとっては悔いが残る出来事だった。
ただ、それが本当に「悲しいこと」だったのかどうかは、立場によって違う。
私の目線、児童相談所という組織の目線では悲しい出来事だったかもしれないが、彼女自身の人生という軸で見れば、そうとは限らない。
退職は、必ずしも「失敗」ではない
彼女がその後、どんな生き方を選び、どんな仕事をしているのかはわからない。
もしかしたら、別の場所で生き生きと働いているかもしれない。
違う人生を見つけて歩いているのかもしれない。
それは、私にはわからないことだ。
だから、職員が退職すること、転職することは、現場にいる職員からするとネガティブに映りやすいが、当人にとっては必ずしもそうではない場合もある。
私自身もこれまでに二度、転職をしている。
それは決して悲しい出来事ではなく、私にとっては前向きな選択だった。
それでも「救えなかった」と思う理由
それでも、今回「救えなかった」と思ってしまう理由がある。
彼女が「辞める」と言ったとき、私は
「あなたが決断したのなら、それで間違いないはずだ」
と言った。
正直に言えば、心からそう思っていたわけではない。
残念だったし、できるなら続けてほしかった。
ただ、すでに決断し、手続きも進めていた彼女に、別の言葉をかけることはできなかった。
せめて応援したくて、そう言った。
しかし、彼女から返ってきた言葉は、
「これでよかったのか、わからない」
というものだった。
私は、そのとき自分が何と返したのかを、はっきりとは覚えていない。
若さと可能性について
彼女もきっと悔しかったのだと思う。
続けたかった。でも、続けられなかった。
そして、周囲に迷惑をかけてしまっているという思いが、強かったのではないかと思う。
その結果が、退職だったのだろう。
彼女は、まだまだこれからの人だった。
人は、新卒の頃ですべてが決まるわけではない。
私自身、新卒の頃は本当に使い物にならない人間だった。
今思い返すと、恥ずかしくなるほどだ。
それでも今は、それなりに働いているし、人を教える立場になることも増えてきた。
だから私は、新卒や卒業して間もない段階で、人の可能性を切り捨てたり、決めつけたりすることは、絶対にあってはならないと思っている。
5年、10年経てば、人は変わる。
私はそう信じている。
この悔いを、次に活かすために
もし彼女が今も働いていたら、どんなケースを担当し、どんな支援をしていたのだろうか。
そう考えてしまう。
本当にもったいなかったと思う。
だから私は、この悔いを、今一緒に働いている後輩たちや同僚たちに対して、繰り返さないようにしたいと思っている。
意識して言葉をかけ、関心を向けるように努めている。
ともすれば、自分自身が溺れてしまう仕事だ。
まずは自分の身を立てなければ、人を助けることはできない。
だから何よりも、自分を自分でコントロールすること、
自分を自分で助けることが必要だ。
受け継いでいきたいもの
私がこれまでの仕事や生き方の中で大切にしてきたこと、その積み重ねは、別の記事にまとめている。
▶ ソーシャルワーカーのメンタルヘルス実践録|現場14年の私が続ける20の習慣【保存版】
私を救ってくれた本があり、今も私を支えてくれている習慣や取り組みがある。
▶ ソーシャルワーカーとして、生きる人として。私を支えた本24冊─社会福祉士・精神保健福祉士の読書録
ただし、人が同じようにできるとは限らない。
人を思い通りに変えることはできない。
変わろうとしている人を支えることや、情報を提供することはできても、その人を思い通りに変えることはできない。
その歯がゆさは、クライエント支援だけでなく、同僚や後輩の育成においても同じだと思う。
私は、自分が受け継いできた人からの優しさや、クライエントへの向き合い方、その技術や知識を、次の世代につないでいきたい。
その役割や使命だけは、果たしていきたいと思っている。
今の正直な気持ち
この「救えなかった」という思いを、これ以上味わいたくない。
それが、今の正直な気持ちだ。
彼女の今の人生が、幸せで、明るく、前向きなものであることを願っている。
とはいえ、私自身も、いつも前向きに仕事ができているわけではない。
本当にしんどくなる日もある。
人のことだけを言っていられない。
それもまた、正直なところではある。


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