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【正直きつかった】精神保健福祉士2年目で「向いていない」と挫折した話

こんにちは、ぱーぱすです。

現在は自治体で働く精神保健福祉士・社会福祉士です。児童相談所などで働いて14年程になりますが、これまで何度も「自分は向いていない」と思うことがありました。

2年目の頃の私は、支援の本質をまだまだわかっていませんでした。

今回は、そんな私が精神保健福祉士2年目に味わった“挫折”と“気づき”をお話しします。

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【正直きつかった】精神保健福祉士2年目で「向いていない」と挫折した話

「人は変えられない」と骨身で知った日

初めての職場は、精神科クリニックのデイケアでした。
デイケアは、日中の居場所として生活リズムを整え、社会とのつながりを保つ場。

学生を終えたばかりの私は、「支援すれば人は良くなる」と信じていた時期でした。

当時の私は、いま思い返すと恥ずかしいくらいの“万能感”のかたまり。
理屈っぽくて、でも正義感は強く、「私が関われば何とかできる」と思い込んでいました。

しかし現場に出ると、そんな理屈はあっけなく吹き飛びました。

書道を続ける男性との出会い

担当になったのは、毎日デイケアに通う白髪まじりの男性。
いつも笑顔で、「やあぱーぱすさん」と声をかけてくれる人でした。
診断は統合失調症。長年、デイケアでひたすら書道を続けていました。

「主治医に言われたから」と淡々と筆をとる姿が印象的で、
手は小刻みに震え、筆先が波打って文字がゆれる。
それでも真剣に半紙を見つめていた姿を、今でも思い出します。

話しかけると、軽口で返してくれるユーモラスな人。
私はその人の人柄に救われていた部分もありました。
支援しているつもりで、実は支えられていたんです。

「もうデイケアをやめたい」と言われた朝

ある朝、いつものように声をかけたら、彼がぽつりとつぶやきました。

「毎日毎日、書道をしてつらい。もうデイケアをやめたい。」

その瞬間、空気が少し冷たく感じました。
私はうまく返せず、ただ「どうしたんですか」と繰り返すことしかできませんでした。

主治医に報告すると、「通うよう説得しなさい」と言われました。
あの頃の私は、「私が話せばきっとできる」と本気で思っていました。

支援と押しつけの境界で迷う

私は説得を試みました。
「デイケアに来る意味」「主治医の考え」……いろんな言葉を尽くしました。

でも彼の表情はだんだん硬くなっていくばかり。
最後には、「もう行きたくない」と静かに言われました。

そのあと、彼はデイケアを休みがちになりました。

数日後に顔を見せたときには別人のように明るく、大声で話し、見るからに落ち着かない雰囲気を漂わせていました。声をかけても、話が通じないのです。

あの時の違和感は、今でも鮮明です。

「まさか…薬、飲めていないのか?」
胸の奥で冷たいものが流れた瞬間でした。

支援にのめりこむほど、空回りしていく

それからの私は、焦っていました。
「このまま放っておけない」と、デイケア後に訪問。
夜遅くに薬カレンダーを一緒に作り、服薬チェックも続けました。

家にあがると、インスタントラーメンの残り香と、タバコの脂と皮脂の香り、散らかった新聞紙。
蛍光灯の白い光の下で、彼は「もう病気は治ったから薬は飲まない」とすら言います。

「こんなにやってるのに、なんでうまくいかない?」
努力の量と成果が比例しない――その現実が、心を削っていきました。

「まるで憲兵だな」と言われた瞬間

ある日、主治医から「入院が必要」との判断。
私は彼を病院に連れて行くよう強く指示されました。

一人で訪問し、玄関のチャイムを押す手が震えました。
ドアが開くと、彼は明るく笑いながら「行かないよ」「病気は治ったから」と言いました。
何度も説明しても、言葉が届かない。
私は焦り、声を荒げてしまいました。

「行きましょう! 行かないといけません!」

その瞬間、彼の顔から笑みが消えました。

「まるで憲兵だな!」

その言葉で、頭の中が真っ白になりました。
支援のはずが、強制になっていた
「私は一体、何をしているんだろう」と自分を責めながら、

それでも彼は、病院へついてきてくれました。
そして、精神科病院へ入院することとなったのです。

自分の“正しさ”に依存していた

あの帰り道の夕暮れ、車の中でずっと考えていました。
ハンドルを握る手のひらが汗ばみ、周囲の声も耳に入らない。

「支援」って何なんだろう。
「正しいこと」って何なんだろう。

自分が“正しい”と思い込んで、相手の痛みを見失っていたんじゃないか。
他人のことなのに自分なら変えられるなんて、とても傲慢だった。

その気づきが、私の支援観を大きく変えました。

「変えられるのは自分だけ」だと知って、ようやく楽になれた

この経験を通して、心の底から理解したことがあります。

それは――人は、自分の力では変えられない。変えられるのは自分だけ。

言葉で聞けば当たり前のこと。
でも、現場で“骨身でわかる”には、時間がかかりました。

それ以降、私は他人を変えようとするよりも、
「自分の関わり方を変える」ことに力を注ぐようになりました。

それが、支援者としてのスタートラインだったんです。

「向いていない」と感じたときに思い出すこと

今でも、現場でつまずくたびに思います。
「自分は向いていないのかもしれない」と。

でもそれはきっと、誰かの人生に本気で関わっている証拠でもあります。

向いていないと感じる瞬間こそ、支援の奥深さに触れているとき。
「なんとかしたい」と思える人が、本当の意味で支援者だと、今は思います。

精神保健福祉士になって良かった理由

今の私は、社会福祉士としても働いています。
でも、精神保健福祉士としての2年目の挫折経験がなかったら、
今の自分はありません。

支援は、人を通して自分を知ること。

精神保健福祉士という仕事は、人間修行そのものだと思います。
痛みも、後悔も、ぜんぶ成長の糧です。

最後に

  • 「精神保健福祉士に向いていない」と感じるのは、成長の通過点。
  • 支援の本質は「他人を変える」ことではなく、「自分の関わりを変える」こと。
  • 苦しい経験ほど、後で支援者としての深みになる。

「支援できなかった」あの日から、ようやく私は“支援者”になれたのかもしれません。

 

※本記事は、筆者の過去の経験をもとに一部内容を再構成したものです。登場する人物等はすべて仮名・創作を含み、実在の個人・組織とは関係ありません。

 

同じ悩みを抱えている方へ

背景には、現場特有の“きつさ”があります。だから、「向いていない」と感じるのは自然なことだとお伝えしたい。

「向いていない」と感じるあなたへ、本気で伝えたいことを記事にしました。

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