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児童福祉司は決断する仕事だ|児童相談所の現場で問われる覚悟と責任

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この記事は、現場で決断を迫られる立場として、率直な思いを書いています。
文体がいつもより堅いですが、ご容赦ください。

児童福祉司は、常に「決断」を迫られる仕事だ。
しかも、どの選択肢にも“正解”がない。

どのリスクを取るか、どのマイナスを引き受けるか。
現場では、リアルタイムで判断を迫られる。
猶予はほとんどない。

書いた人:ぱーぱす(社会福祉士・精神保健福祉士)
自治体で働くソーシャルワーカー。児童相談所などでの実務経験をもとに発信。
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トロッコ問題と児童相談所の現実

哲学で有名な「トロッコ問題」という思考実験がある。

制御不能のトロッコが5人の作業員に向かって進んでいる。
あなたがレバーを引けば、1人がいる待避線に切り替えられる
――5人を助ける代わりに、1人が犠牲になる。

功利主義と義務論の対立を問うこの問題は、
「多数を救うために、1人を犠牲にしてもよいのか」という究極の選択を私たちに突きつける。

児童相談所の現場も、これに似ている。

私たちは“誰かの幸せのために、別の誰かが苦しむかもしれない”決断をしなければならない。
理想と現実を折り合わせる作業の連続だ。
きれいな答えは存在しない。

無責任な「心配」だけでは現実は動かない

私は正直に言う。

現場で、責任を負わない立場から「心配だ」「どうなるでしょう」と言うだけの人が苦手だ。
まるで井戸端会議のように、不安を他人事として語る。

児童福祉司は、命を背負って現場に立つ。

だからこそ私は、同じように責任を背負う人の意見を聞きたい。
心配を語ること自体が悪いわけではない。
ただ、心配“だけ”を並べても、現実は動かない。

私たちは、言葉を尽くすが、最後は決断で応えるしかない。

「かわいそう」で止まってはいけない

かわいそう、ひどい――。
そう言って現実から目をそらすことはできない。
列車はすでに走っている。放っておけば、誰も救えない。

抽象的な言い方になるが、
共感だけでは、子どもは守れない。
私たちは、決断と行動で命を守るしかない。

子どもの「自己決定」は、簡単ではない

児童福祉司のクライエントは子どもだ。
しかし、子どもはまだ発達の途中にあり、自己決定には限界がある。

伝え方ひとつで、子どもの選択は変わる。
それを「自己決定」と呼べるのか?

「自己決定だから尊重しよう」で済ませてはいけない。
それは、決断の責任を子どもなすりつける行為となりうる。

だからこそ、私たちは慎重に、時に冷たい決断を下さなければならない。
守るための制限”を引き受ける覚悟が必要だ。

「守るための制限」を決断する

一時保護、措置入所。
どれも子どもの自由を制限する行為だ。
だが、それは命を守るための手段でもある。

子どもが「帰りたい」と言っても、
家庭に戻せないことがある。

保護者や地域、学校、親戚――
多くの意見や反発を受けながら、
児童相談所は「子どもの利益」に基づいて決断する。

だから、ネット上やマスメディアで批判する人がいるのは、当たり前だ。
決断の数だけ、批判も増す。

全員が納得する状況は、まずない。
説明しても理解されないことがある。
それでも、決断は避けられない。

地域に戻すという「もうひとつの決断」

施設に入った子どもを地域に戻すか。
この判断も、重い。

地域からは「本当に大丈夫なのか」「再発しないのか」と心配や反発の声が上がる。

私たちはその声に耳を傾けながらも、
最終的には“子どもの最善の利益”を軸に判断する。
その覚悟が問われる。

責任を持たない「意見」は、軽い

「自分は関係ないけど…」という立場から発せられる言葉ほど、
現場では軽く響く。

正直、そうした意見を聞くと、心の中でこう思う。
「責任のない言葉ほど、現場を軽く傷つける」と。

児童福祉司は、政治で言えば“与党”のような存在だ。
ここで言う「与党」とは政治的な話ではない。
決定権と執行責任を負う立場――つまり、現場で現実を動かす側という意味だ。

もちろん、現実の政治と同じように、野党にも監視し、問い、別の道を示す責任がある。
どちらにも、それぞれの重さがある。
ただ、児童相談所の児童福祉司は、最終的に「決断し、行動する」側にいることが多い。
その意味で、児童福祉司は与党に似ているのだ。

批判を受けながらも、決定を下し、現実を動かす。
それが、責任だ。

第一線に立つということ

児童福祉司は、決して“楽しい”とは言えない。
目の前の人は泣き、怒り、失望し、無関心でもいる。
そんな感情に素手で触れ続ける日々。

疲れる。
けれど、それでも止まれない。

いつかこの仕事を離れたとき、
「あの頃、自分は第一線で生きていた」と思えるだろうか。
その日までは、進み続けたい。

最後に──覚悟の話

これは、覚悟の話。
心配を語るなと言いたいわけではない。
ただ、この立場の現実を知ってほしいと思う。

児童福祉司は、きれいごとでは動けない。
理想と現実のあいだで、迷いながらも子どものために決断する。
それがどんな結果を生むとしても、誰かがその役を担うしかない。

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