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【悲しきリアル】自己覚知≠支援者の幸せ|それでも自己覚知をやめない

自己覚知って自分の嫌なところがわかって、ツラい・・・

自己覚知は良い支援をするには必須!だけど、ほんとツラいよね・・・

この記事の対象

  • 福祉現場での実践者

自己覚知がより良い支援をするのに大切なのは、「耳にタコができる」くらい聞かされますよね。

学校、大学で先生がくりかえし、くりかえし言っていた・・・。私も自己覚知の必要性や、そのやり方を書いたことがあります。

ところが自己覚知って、ハッキリ言ってしんどいんですよねぇ。

自分のいいところに気づけるというより、

認めたくないところ、変えられないところ、ドロドロとした欲求を知ることになったりします・・・。

ってことは、ひょっとしたら、自己覚知をしても私たち自身は幸せにはなれないのでしょうか?

考えてみました。

【悲しきリアル】自己覚知≠支援者の幸せ|それでも自己覚知をやめない

自己覚知をすれば、より良い支援者になれる

自己覚知をすれば、より良い支援者になれる

私は、この点には異論ありません。

  • こんな支援をしたい。
  • こういう福祉の仕事をしたい。
  • 次の対応はこうしよう。

1つ1つの思考、判断、行動には、自分の感覚や価値観、好き嫌いや欲求が影響します。

同じ社会福祉士でも、Aさん・Bさん・Cさん、全員が違うので、支援の仕方や方向性も違ってきます。

福祉は「1+1=2」のような絶対解は、ほぼ無い世界。「あーでもないこーでもない」と考えたり、話したり、やってみながら、進めていく。

そして、「これで良かったのか」と反省会を一人で開いたりもします。自分の感情や判断、行動を振り返る。

自分の動機や欲求はなんなのか?

それに気づくことができれば、例えば、自分の願望や欲求と、相手の課題とを区別して、何をなすべきかがクリアになってくる

自分の願望や欲求に(最低限)気づいていないと、

例えば、自分の望みを「相手が望んでいること」と思い込んだり、

いろいろと理屈をこじつけて、自分の欲求どおりに”支援なるもの”をしてしまう。

だから、自己覚知は、対人支援の仕事をするのであれば必須科目。

自己覚知をしていたら、自分の嫌な面に気づいて、自分が嫌になってしまうこともある

でも、自己覚知は自分の嫌な面に気づく作業でもある・・・

例えば、高校生のDくんは「福祉の仕事をして人のためになりたい」と考えている。

Dくんは自分自身について

僕は善い人間なんだ。純粋に人の幸せを願っているんだ。

このようにとらえています。

でも、Dくんが福祉の現場で実践をくりかえしながら、1つ1つの認知・判断・行動を振り返っていると、

おっとどうやら、自分には認めたくない感情があることを、認めざるを得なくなってきました・・・。

例えばそれは、

  1. 「善いことをして、人に認められたい。自分を認めたい。」
  2. 「人から感謝されて承認されたい」
  3. 「人とつながれないので、支援関係を通して人とつながりたい」
  4. 「支援者として、人より優位に立ちたい」

とかとか・・・。

なんらかのコンプレックスを解消したい欲求が潜んでいるようだ、と。

こうした内面に気づく(直面する)と、自分が嫌になってしまうことがあると思います。

自己覚知は、より良い支援をするには必須だけど、精神修行のようなもので、自らの恥部(しかもほぼ変えられない)に目を向け続けるようでもあります。

「自分には好きになれないところがあるけど、そんな自分でも良いんだ」

こう思えたらいいんだけれども、様々な支援をする過程で、自己覚知を繰り返す中で

やはり私も、

  1. 「自分はなんて自分勝手なんだ。」
  2. 「自己利益ばかり考えてるやつなんだ。」
  3. 「人のことを大切にできないんだ」

と思ってしまうことがあります。

もしかしたら、自己覚知などを行わずに仕事をしていれば、ひたすら”支援なるもの”をしていて、

  1. 「自分は善いことをしている!」
  2. 「自分は間違ってなんかいない。間違っているのはあいつだ!」
  3. 「自分は人の幸せを望んでいる人間なんだ。ピュアにそう願っているんだ。」

このように固く信じて、生きていけたかもしれません。

それは、自分を知らないが故の、幸せだったのかもしれません。

それでも自己覚知をする人でありたい

でも、きっとその”支援なるもの”は良い結果を生まないでしょう。

自分は良いことをしているつもりなのに、周りからはそう思われないし、評価もされない。

不意に怒りを買ってしまったり、支援関係が途切れたりしたかもしれません。

つまずくこともあったでしょう。自分を客観視できなくて、自己評価と他者評価が一致しないこともあったでしょう。

それを幸せと思えるでしょうか?私はそう思えなくて、自己覚知をせざるを得なくなったのだと思います。

自己覚知だけの影響では無いでしょうけど、福祉の業界に身を置き始めたころの自分とは、今ではずいぶんと変わりました。

就職して間もないころは、自分を知らないがゆえの根拠なき自信と、傲慢さにあふれていました。支援関係も、職場の対人関係も、うまくいかなかったです。

しかし、自己覚知によって自分を知るにつれて、自信を喪失することにはなりましたが、謙虚さを得ることにもなりました。

そして、自分というものをよりクリアに捉えやすくなりました。過大にも過小にも評価せず。適正な自信を得やすくなったと思います。

あなたもきっと、自己覚知をするのはしんどい、ですよね?

自己覚知は、クライエントの利益を追求するには必須科目。

でも、自分の幸せを追求するための必須科目かというと、ちょっと私にはわからない。たぶん違う。自分の嫌な面に気づく作業でもあるから。

それなのに、自己覚知をする人。私はその人に敬意を表したい。

あなたは頑張っている!と。

そして、私もあなたのようになりたいし、そのようでありたいと思います。

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