福祉現場のパターナリズムの価値を再考しよう

対人・支援関係

パターナリズムってあかんやつやろ?

そうでもない

パターナリズムは使い分ければ価値がある

どうも!社会福祉士・精神保健福祉士のぱーぱすです。

近年の福祉現場では、インフォームド・コンセントが重視されています。

「説明にもとづく同意」という意味なのですが、具体的には「医師が患者さんに病気の説明を十分したうえで、了解を得ながら、治療法などを決めること」です。

インフォームド・コンセントで支援した方が、利用者・患者さんとの信頼関係ができやすく、決定後の参加姿勢も積極的になるなどの効果があるので重視されているわけです。

社会福祉士になるための試験勉強では、インフォームド・コンセントの大切さを学ぶことになると思います。

このインフォームドコンセントの対極になるのが、パターナリズムです。

パターナリズムは、相手の利益のために本人の意向にかかわりなく生活や行動に干渉して、制限を加えるべきとする考え方のことです。「そういうことはあなたのためにならないから止めなさい」とか「もっとこうしなさい」という関わり方です。

例えば、医者と患者、親と子の関係などが、パターナリズムの起きやすい関係でしょう。

福祉現場では「インフォームド・コンセントは良い」「パターナリズムは悪い」といった善悪で捉えている方がいます。パターナリズムは過去の悪しき考え方・関わり方のように思われているかもしれません。

ところが、インフォームド・コンセントの考えだけにのっとっても、うまく支援できないことがありませんか?

ニッチなテーマですが、パターナリズムには再考する価値があると思います。パターナリズムを絶対悪のように扱うのは行き過ぎではというものです。(すべてのパターナリズムを肯定するつもりはありません)

福祉現場のパターナリズムの価値を再考しよう

子と親の関係でのパターナリズム

子どもと親の関わりには、パターナリズムがよくあります。

例えば、多くの親は、自分の子ども(小学生)がタバコを吸っているのを見たら、タバコを取り上げたり、吸わないように見張ったり、お金を渡さないようにしたり、制限を加えると思います

これは、子どもがどれだけ求めても、です。「お前のためにはならないから止めておきなさい」と干渉するわけです。

この時、インフォームド・コンセント的な関わり方をするならば、つぎのような感じになるのかもしれません。

タバコを吸っていた子どもに、親はタバコの危険性を説明した。
「タバコを吸うと病気のリスクが上がる」
「やめられなくなる」
「百害あって一利なし」
「法律で禁止されている」
しかし、子どもは「それでもオレはタバコを吸う」と言った。
親は「わかった。じゃあタバコをあげよう」とタバコをさしだした。

厳密にはインフォームド・コンセントの意味するところとは違うと思いますが・・・

「子ども」をたとえ話にしましたが、他にも、「知的障がい等で判断に支援が必要な方」や「精神症状等が急性期で、自傷他害のおそれのある方」には、パターナリズムの必要性を考えざるを得ない場面があると思います。

どれだけ説明を尽くしても、うまく理解できない知的水準の方はおられると思います。

また、精神的な症状の悪化によって、一時的に会話ができない状態の方もおられるでしょう。

福祉現場はパターナリズムに欠けがちではないか

現在の福祉現場ではインフォームド・コンセントが重視されています。社会福祉士のカリキュラムでもそのようになっています。

私はインフォームド・コンセントはとても大切と理解しています。原則はインフォームド・コンセントであることに異論はないです。決して、インフォームド・コンセントを悪者にしたいのではありません。

そのうえで言いたいのは、パターナリズムも時に必要ではということです。例えば、児童福祉の分野のように、子どもが危ない行動や社会ルールを破る行動をとった時などは、パターナリズムも必要ではないかと言いたいのです。

「福祉の福は服従の服」という言葉があります。私たちは利用者・患者さんのためと考えて、彼らの言うことに従ってばかりになってはいないでしょうか・・・。


わたしは虐待にあった子どもの支援にかかわったことがありますが、その子たちが求めているのは共感・受容でありつつも、それだけではないように見えました。

彼らは、暴力や破壊といった形で、社会ルールを逸脱しがちでした。彼らの多くは、家庭でまっとうな親をみていなかったのです。

暴力で支配された家庭、アルコールやギャンブルで秩序のない家庭、父親はいるけれどとても影が薄いetc・・・

もちろん、傷ついた心をうけとめてくれる優しさは必要です。

しかし、優しさだけでは育ちとして不十分だと思います。不健全な家庭で育った子たちが実は求めているのは、規範やルールを逸脱してしまった自分を許さず、守るべき規範やルールを明確に示す関わりに思えてなりません。

まとめ

インフォームド・コンセントの方が良いとか、パターナリズムの方が良いとか、そういった二文法的な話ではありません。

インフォームド・コンセントを原則としつつ、時にパターナリズムも必要ではないかというのが私の感じることです。

社会福祉士のテキスト等では、パターナリズムは否定されているわけではありませんが、インフォームド・コンセントの大切さが繰り返し伝えられています。

福祉現場で働く方、働こうとする方には、「パターナリズムにも価値があるかも」という話をちょっと覚えておいていただきたいのです。

これからもじっくり研究を深めて、整理して話していきたいテーマです。

なお、こちらで同志社大学の畑本教授がパターナリズムについて論文を書かれています。私などの見識よりもずっと深い話ですから、ご興味のある方はご参考になると思います。

http://www.yamanashi-ken.ac.jp/wp-content/uploads/khk2011001.pdf

以上、福祉現場のパターナリズムの価値を再考しようという話題でした。

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