「どうしてあの人は、あんなに怒るんだろう。」
「自分のことを全然わかっていない…」
支援の現場でも職場でも、自分が見えていない人に出会うことがあります。
一見頑固で攻撃的でも、その背景には特徴や心理的防衛、そして発達障害・知的障害・精神疾患など、複数の要因が絡み合っていることがあります。
自己を客観視する力が弱まると、人は怒りや不満で自分を守ろうとしがちです。
この記事では、ソーシャルワーカーとしての現場経験をもとに、
「自分が見えていない人」の特徴と背景メカニズムを整理し、
私たち支援者がどのように関わるかを考えていきます。
「自分が見えていない」人の特徴
たとえば、トラックを運転していて、猛スピードで「ブーーーー!!!」とクラクションを鳴らし続ける人。
こうした状態の人は「お前が悪い、私は正しい」という確信に満ちているのかもしれません。
でも、そんなトラックの後ろには「安全運転」と書かれていたりして、びっくりする。
まさに、自分のトラック(=自分自身)が見えていない。
こうした人たちは、なぜ自分を客観視できないのか?
私の現場経験から、いくつかの背景要因を考えてみます。
発達特性や発達障害による想像力の難しさ
まず考えられるのは、発達特性や発達障害の影響です。
特に自閉スペクトラムの傾向が強い人は、「想像力」に困難さを抱えることがあります。
自分を見つめるには、“心の鏡”=想像力が必要です。
自分の外見は鏡で見られますが、内面は第三者の視点を想像しないと見えません。
その想像力が弱いと、自己認識と他者評価がズレていくのです。
だから、「注意を受けてもピンとこない」「他者の気持ちを想像できない」といった状態が生まれやすい。
結果として、トラブルが増えたり、誤解を招いたりもしやすいと考えられます。
心理的な否認 ―「認めたくない自分」がいる
次に考えられるのは、心理的な否認です。
つまり、「うすうす分かっているけれど、認めたくない自分」がいるケース。
たとえば、文章が苦手な人がいて、上司が「こう直した方がいいよ」と添削したとします。
すると、当人は「上司の言い方が悪い」「私を評価していない」と感情的に反発してしまうことがあります。
しかし本質的には、自分の苦手を突かれた痛みへの防衛反応なのです。
時間を置いて冷静になると「確かにそうかもしれない」と気づける人もいます。
このように、自分を守る心理的な抵抗が、客観視を妨げていることもあります。
理想とのギャップ ―「そうありたくない自分」
上記の話と似ていますが、理想の自分とのギャップもあります。
「私はこうありたい」という希望が強い人ほど、現実を突きつけられると受け入れがたい。
そのため、「あの人はひどい」「嫌なことを言われた」という記憶が残り、内容が心に届かない。
つまり、シャッターが下りてしまい、言葉が届かないのです。
支援現場でもよくあります。
どれだけ丁寧に伝えても、反応がいまいちだったり、表面的な返答しか返ってこない。
そんな時、相手の心はすでにガードに入っているのかもしれません。
「そんなことはない」「自分はできている」と否認のスイッチが入っている状態です。
ただし、その“理想”や“希望”は、その人にとって心を支える大切な柱でもある。
今まで通り生きていくためには、必要なことなのです。
だからこそ、簡単には手放せない。
崩そうとすると、強い抵抗が生まれるのはそのためでしょう。
知的障害による影響
軽度の知的障害
実は特に苦しいのは、軽度(B2程度)の知的障害のある方です。
この水準の知的障害が実際にはあっても、療育手帳を持っていない人は少なくありません。
子どものころから「考えるのが苦手」「勉強ができない子」と見なされるだけで、
特別な支援を受けずに育ってきた。
そうした人は、社会の中で“グレー”なまま生きてきたのです。
大人になってからいきなり「あなたは知的障害がある」と言われても、
受け入れられるはずがありません。
ずっとそうやって生き抜いてきたのですから。
このような人たちは、自分の不得意さをうすうす感じながらも、
「できている自分」を見せようと頑張っていることが多い。
そして、他者のミスや弱さを責めてしまうことで、
自尊心を守ろうとしているのだと思います。
自分のことはボンヤリ見えていたりしますが、そうした事実を否認したい感情も強くなりやすいと思います。
重度の知的障害
知的障害は重度になるほど、
「自分を見つめる」という行為そのものが難しくなります。
そもそも“自己”という概念を整理して理解することも難しかったりします。
知的障害のまとめ
知的障害のある方にとって、
「自分を見つめる」という行為は、そもそもとても難しい課題です。
それと、ある程度は自分を見ることもできる知的障害(軽度)の人ほど苦しむという現実もあります。
「ボンヤリと見える」からこそ、他者と比べて絶望的になる。
いっそ、わからなければどれだけ楽か、と。
理想と現実の狭間で行き来を繰り返す。
そうして悩み続ける子どもたちや少年に、私はよく出会います。
精神疾患による影響
状態
精神疾患のある方の場合、症状が不安定なときには現実と非現実の区別があいまいになり、
「自分をどう見るか」という作業そのものが難しくなることがあります。
たとえば、幻覚や妄想が強く出ているときには、
自分の感情や行動を客観的に捉えることがほとんどできません。
また、うつ病のように気分が低下していると、
「自分はだめだ」「何もできない」といった過度に否定的な自己評価に偏ることもあります。
つまり、精神疾患によって自己像が歪んだり、極端に狭まったりすることがあるのです。
2つの成因パターン
ただし、「精神疾患」とひとことで言っても、その背景はさまざまです。
大きく分けると、次の2つのパターンが考えられます。
- 病気の発症によって、自分が見えにくくなった場合
脳の働きや気分の変化が直接的に影響し、
以前はできていた“自己を振り返る力”が一時的に低下している状態。 - もともと自分を客観視することが苦手で、その特性がストレスとなって発症した場合
発達特性や対人関係の不器用さから、うまくいかない経験が重なり、
そのストレスが引き金となってうつ病や不安障害などを発症している場合。
このように、「病気が原因なのか」「特性が原因なのか」は人によって異なります。
見た目だけでは判断が難しく、支援者としては両方の可能性を意識して関わる必要があります。
ソーシャルワーカーとしての対応
では、こうした「自分が見えていない人」へ、私たちはどう関われるでしょうか。
私が思うに、万能な方法はありません。
それでも、いくつか有効なアプローチがあります。
視覚化する
発達特性のある方には、視覚的に「見える化」することが有効です。
- 話している内容を紙に書く
- 図やイラストにする
そうすることで、まるで鏡のように「自分の発言」や「感情の流れ」を客観的に見られるようになることがあります。
ただし注意が必要です。
書く内容にはあなた自身の意図を入れすぎないこと。
「お前は間違ってる」などのニュアンスが伝わると、相手は否認や反発を起こします。
本人の言葉をそのまま書く――これが鉄則です。
質問して、考えてもらう
「あなたの行動を、周りはどう見ていると思いますか?」
「もし同じことをする人を見たら、どう思いますか?」
このように問いかけることで、想像のスイッチが入ります。
人は自分ではなかなか考えませんが、問われて初めて考えるものです。
ただし、「何とも思わない」と返す人もいる。万能ではないけれど、きっかけにはなります。
経験してもらう
言葉でも視覚でも伝わらない場合は、経験してもらうこと。
「自分はできている」と過信している人に、あえて小さな失敗や現実を体験してもらう。
その体験が、言葉よりも深く本人に届くことがあります。
怒りの矛先を変える視点
支援の中で「この人はおかしい」「やばい」と感じることがあるかもしれません。
でもそこで、
「この人は自分が見えていない。なぜなら――」
と要因を冷静に考えられれば、こちらの怒りや不満を下げることができます。
それは相手のためでもあり、私たち自身の自己覚知の一つでもあります。
支援者のパフォーマンスを上げるためのテクニックです。
おわりに
「自分が見えていない人」に出会うことは、支援の中では避けられません。
でもその背景を理解しておくことで、怒りに飲み込まれず、支援の精度を高めることができるはず。
支援の現場では、「自分を見る力を育てる」ことも支援の一部と思います。
焦らず、少しずつ。
もし「こういう対応をした」「この方法もあるよ」という経験があれば、
コメントで教えてもらえると嬉しいです。
それではまた。
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▶自己覚知は「幸せ」につながるのか?――それでも私が歩みを止めない理由
自己覚知をすれば幸せになれるのか。
答えは、必ずしも「はい」ではありません。
自分の人生の意味、これまでの経験の意味を問い直すことは、
時に、それらを一変させるほどの気づきをもたらします。
それでも私は、自己覚知をやめない。
その道のりこそが、ソーシャルワーカーとしての生き方だと思うのです。




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