肩書きと実力は、同じではありません。
所長、責任者、医師、弁護士、大学教授。
立派な役職や資格がついていると、その人の発言まで無条件に正しく見えることがあります。
しかし、福祉の現場で働いてきて、私はそうではない場面を何度も見てきました。
肩書きは立派でも、中身が伴っていない人はいます。
むしろ、肩書きによって自分の判断を疑わなくなり、勘違いを強めているように見える人もいます。
社会福祉士や精神保健福祉士は、役職や資格だけを見て人を判断してはいけない。
その人が何を考え、どのように判断し、実際に何をしているのか。
肩書きではなく、その人自身を見る必要があると私は思っています。
「人は肩書きではない」と教えてくれた上司
私が30歳前後の頃に働いていた職場で、ある上司から大切なことを教わりました。
それは、人は肩書きではないということです。
それまでの私は、所長や責任者、大学教授などの役職がついている人は、無条件にすごいのだと思っていました。
立場が上の人の意見は正しい。
役職のある人には従わなければならない。
今から振り返ると、かなり盲目的だったと思います。
しかし、その上司が人を見る姿勢や、関係者への関わり方をそばで見ているうちに、少しずつ考えが変わりました。
ケースワークを進める中では、行政機関の職員、職場内の別の上司、社会的な立場が上とされる人たちと関わります。
その様子を見ていると、役職と実力が一致しているとは限らないことが分かってきました。
役職がついているから、その人の見立てが正確になるわけではありません。
肩書きがあるから、人への関わり方が誠実になるわけでもありません。
当たり前のことなのですが、当時の私にとっては、大きな気づきでした。
私はなるべく「〇〇さん」と呼ぶ
こうした経験や、私自身の反骨心もあって、私は人を呼ぶとき、なるべく名字に「さん」をつけて呼びます。
「所長」「先生」「教授」といった肩書きで呼ぶことは、できるだけ避けています。
私の中では、人は人です。
〇〇さんは、〇〇さんでしかありません。
役職名で呼び続けていると、呼んでいる側まで、その肩書きに引っ張られてしまうことがあります。
相手を必要以上に大きく見てしまったり、自分を必要以上に小さく見てしまったりする。
私は、なるべく対等な意識でやり取りをしたいと思っています。
ただし、いつでも名字に「さん」をつければよいと思っているわけではありません。
相手が役職で呼ばれることを好み、それによって機嫌よく動いてくれると見立てた場合は、あえて役職名で呼ぶこともあります。
この辺りは、私も腹黒いです。
ずるいところもあります。
相手との関係や、その後の動きも考えて、呼び方を選んでいます。
それでも、自分自身の基本的なスタンスは変わりません。
役職ではなく、その人を見る。
それが私の中にあります。
何を言ったかではなく、誰が言ったかで人は動く
日本の社会では、何を言ったかよりも、誰が言ったかによって人が動くことがあります。
- 医師が言った
- 弁護士が言った
- 大学教授が言った
それだけで、途中の理屈が飛ばされ、結論だけが正しいものとして扱われることがあります。
テレビニュースのコメンテーターにもよくありますよね。
言っていることは何の変哲もないし、根拠も示されていないのに、肩書きがコメント内容をもっともらしくさせる。
福祉現場でも、これはよく起こります。
特に私が危ういと感じるのは、医師など、発言力の強い人の意見を受けた福祉関係者が、その言葉を疑わないまま動き始める場面です。
福祉関係者が突然暴走したというより、その前に、権力のある人の見立てや発言が暴走しているように感じることもあります。
もちろん、医師や弁護士、大学教授の専門性を否定したいわけではありません。
実際に、深い知識と経験を持ち、こちらが学ばせてもらう人もいます。
しかし、資格や役職があるからといって、すべての判断が正しくなるわけではありません。
それでも、周囲の人は肩書きに引っ張られます。
権力のある人が強く言えば、その意見に合理性があるかどうかを確認する前に、現場が動いてしまうことがあります。
数分の相談でケースが動いてしまった
具体的な内容は書けませんが、あるケースを担当していたときのことです。
関係機関の職員が、ある大学教授にケースについて相談しました。
相談時間は、数分ほどだったと聞いています。
大学教授は、その担当者に対して、
「〇〇ではなく、〇〇にしたほうがよい」
という趣旨の助言をしました。
その助言を受け、関係機関は対応を変えました。
しかし、その後、別の問題が起きました。
そして最終的に、児童相談所である私のところへ相談がやってきました。
私は、その大学教授がなぜその助言をしたのか、よく分かりませんでした。
数分ほどの相談で、どれほどの情報が共有されたのかは分かりません。
ただ、少なくとも、そのケースは数分の説明だけで判断できるような内容ではありませんでした。
ケースについて判断したり、助言したりするには、できるだけ正確に状況を知る必要があります。
これは、どれだけ経験を積んだ人でも同じです。
情報が足りなければ、ベテランでも判断を誤ります。
だからこそ、限られた情報しかない状態で強い助言をすることには、慎重であるべきです。
分からないときには、
「その情報だけでは判断できない」
「もう少し状況を確認したい」
と言う必要があります。
しかし、肩書きのある人ほど、何かを答えなければならないと思ってしまうのかもしれません。
大学教授という立場にある以上、助言をしなければならない。
何も言えないと思われたくない。
自分の権威やプライドを守りたい。
これは私の推測にすぎません。
ただ、その大学教授の助言は、私には合理性があるように思えませんでした。
権力のある人の意見を、正面から否定しない
問題は、その助言が正しくなかったと感じても、簡単には否定できないことです。
「その大学教授の意見は間違っています」
「その医師の見立ては違います」
と正面から言えば、話が終わるわけではありません。
周囲は、
「あれほど偉い人が言っているのに、なぜ児童相談所は違うことを言うのか」
「大学教授と児童相談所のどちらが正しいのか」
「やはり医師の言っていることが正しいのではないか」
と迷います。
現場の指示命令系統や、実際に対応する責任は児童相談所にあります。
だからといって、外部の専門家の意見を無視するわけにもいきません。
しかし、肩書きだけを理由に、すべてをうのみにすることもできません。
かなり面倒な状況です。
そこで私が心がけているのは、権力があるとされている人や、周囲からすごいと思われている人の意見を、真っ向から否定しないことです。
その人の言葉をこちらなりに解釈し、必要な意味を加えます。
そして、こちらの見解と大きな違いがないように見せながら、現実的な方向へ話を進めることがあります。
ずるいやり方かもしれません。
すべてを正直に伝え、相手の間違いを一つずつ指摘するほうが、分かりやすいのかもしれません。
見ている人も、すっきりするでしょう。
何が正しいのかも明白になります。
テレビドラマであれば、こうした対立構図の方が絵になります。
しかし、実際に行えば、その後に残るのは、断絶や亀裂、関係の悪化です。
相手には、
「言い負かされた」
「やられた」
という感覚が残ります。
そして別の場面で、足の引っ張り合いが始まることもあります。
それが福祉現場の現実です。
以前の記事でも書きましたが、誠実さと方便は使い分ける必要があります。
勝ってはいけない。
相手に負けたと思わせてもいけない。
私は、それが福祉現場での交渉であり調整の中身だと思っています。
肩書きで偉くなったと思う人もいる
肩書きや役職がついたことで、自分まで偉くなったと思う人がいます。
胸を張り、自分の権力が正しさであるかのように振る舞う。
自分の意見に従わない人を攻撃する。
社会的には高い立場にいても、人との関わり方を見ると、社会性が低いように感じる人もいます。
肩書きは、その人の立場を表します。
しかし、その人の人間性や判断力、ケースワークの力まで保証するものではありません。
役職が上がれば、発言の影響力も大きくなります。
だから本来は、慎重にならなければならないはずです。
しかし実際には、役職が上がるほど、自分の判断を疑わなくなる人もいます。
周囲も反対意見を言わなくなるため、本人の勘違いはさらに強くなります。
いわゆる、裸の王様のような状態です。
私は、このような人が世の中には多すぎると感じています。
社会福祉士は、役職ではなく人を見る
社会福祉士や精神保健福祉士は、肩書きや役職だけを見て、相手を判断してはいけないと思います。
人を見立てる。
関係機関を見立てる。
これは、ソーシャルワーカーとして必要な力です。
「医療機関だから、これができる」
「行政機関だから、これを頼める」
「大学教授だから、正しい助言をしてくれる」
そう単純に考えるのではありません。
同じ機関に所属していても、できることや考え方は人によって違います。
〇〇という機関だから頼めるのではなく、その機関にいる〇〇さんだから頼める。
〇〇という役職だからできるのではなく、あの人だからできる。
支援をつなぐときには、そのくらい具体的に人を見るようにしています。
肩書きが立派でも、実際には頼めない人がいます。
反対に、目立った役職がなくても、丁寧に考え、誠実に動いてくれる人もいます。
資格や役職を無視するという話ではありません。
それらは、その人の知識や権限を知るための一つの情報です。
しかし、それだけで人を判断しない。
肩書きの奥にいる、その人を見る。
それが、社会福祉士や精神保健福祉士として、人を見立てる力を上げることにつながると私は思っています。



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