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児童指導員という名称に違和感を覚える理由|社会福祉士が語る指導の本質

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児童指導員の”指導”って、ちょっと偉そうに感じない?

児童指導員――名前だけを見ると、「子どもを指導する人」だと受け取れます。

もちろん、仕事の中には“指導”が必要な場面もあります。
ただ、私はずっと 名称にモヤモヤを抱えいる人間です。

理由は単純で、「指導」という言葉がどうしても上下関係を思わせるからです。

子どもより上に立ち、正しさを教え、導く。
そういう構図が名称の中にくっきり入っている。

しかし、私が現場で出会った子どもたちは、そんな“指導されるだけの存在”ではありませんでした。
そして私自身も、そういう大人にはなりたくなかった。

この記事では、私の体験をベースに、

  • 「児童指導員という名称に何を思うのか」
  • 「本当に大切な”指導”とは何か」
  • 「どんな姿勢で子どもと関わるべきか」

をまとめていきます。

児童指導員を目指す方、すでに働いている方、対人支援に携わる方の参考になれば嬉しいです。

筆者:ぱーぱす(社会福祉士・精神保健福祉士)
自治体で働くソーシャルワーカー。児童指導員、児童福祉司など十数年の実務経験あり。このブログでは、福祉を学ぶ人・働く人が明日から使える視点を持ち帰れるよう、現場の知見や考察をもとに発信しています。
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児童指導員という名称に覚える違和感

児童指導員の”指導”という名称には、どうしても上下の匂いがついてきます。

けれど現場で必要なのは、上からの“指導”ではなく、
子どもや場面に合わせて、関わり方をタイムリーに選び取る姿勢だと思います。

私は「児童指導員」という言葉を初めて聞いた時、正直こう思いました。

“なんか偉そうだな…”

「指導」の字が持つ雰囲気が、どうにも受けいれにくい。

  • 上から教える
  • 正しさを示す
  • 道をつくらないといけない

こういうニュアンスがどうにも合わなかった。

もちろん、子どもと“完全に対等”にやるのは難しい現場です。
ただ、「子どもだから下に見る」という態度は、絶対に違う。

この“違和感”が、私の児童指導員としての姿勢を考える出発点になりました。

児童指導員の現場で感じた「指導のリアル」

中高生男子と向き合ってわかったこと

私は児童の入所施設で、中学生・高校生くらいの男子と関わる現場にいました。

その中で痛感したことは、

“まずは枠組み(規律・ルール・規範)が必要だ”
ということです。

優しさだけでは機能しない。
共感や丁寧な対話だけでは、無秩序となる。

彼らとの関わりでは、

  • 時間を守る(こちらも)
  • 暴力を許さない
  • ルールを明確に伝える(後出しをしない・大人の都合で変えない)
  • ルール逸脱を見逃さない
  • できたことをすぐに言語化して褒める(時にジェスチャーも使う)

こういった 最低限の生活の枠 があって初めて、対話が成立する。
そして、「ちゃんと見ているよ」という細かな声かけや関心が、生活の枠を守る”やりがい”にもなる。

この両輪なしに、“優しさ”や“寄り添い”を出しても、課題行為はおさまらない。

一方で、“偉そうな指導”だけを前面に出せば、
支配と被支配の構図にしかならない。
そこに信頼は生まれないし、関係は育たないと思います。

枠組みは必要。しかし「偉そう」は必要じゃない

暴力や無秩序を放置すれば、社会に適応できなくなる。
だから枠を示すことは必要です。

でも、だからといって、

「大人はいつも正しい」
「子どもは未熟だから従え」

この態度は論外。
これをやると信頼を失うし、
伝えること、言うことも聞かれなくなります。

きいてくれるのは、従順な子どもくらいでしょう。

子どもだからといって“下に見ない”

私は自分の中学・高校時代の経験を思い出します。

正直言うと、当時の私は

「偉そうな大人」が大嫌いでした。
だって、大抵の大人というのは、

  1. 上から見てくる
  2. 話を聞かない
  3. いつも自分が正しいと思っている
  4. 子どもの意見を軽く扱う
  5. 「昔はこうだった」と美化してくる

こういう大人に出会うたびに、
「ざけんじゃねえ」
と、軽蔑していました。

一方で救いだったのは、
子ども扱いしない大人の存在でした。

  1. 丁寧な言葉遣いをしてくれる
  2. 意見を尊重してくれる
  3. 個別性を大切にしてくれる
  4. 厳しさの中にも誠実さがある

こうした大人にも出会えたことで、
「この人のようになりたい」と素直に思えました。

私は今、当時感じた“理想の大人像”を
自分なりに追いかけているのだと思います。

そして忌み嫌った大人像は、今でも毛嫌いしています。

児童指導員に必要な姿勢とは

児童指導員に必要な姿勢とは、

「子どもに教える時もあれば、教わる時もある姿勢」
だと思っています。

そのためには、次の3つが特に大事だと思います。

間違ったら謝る

大人だから偉いわけじゃない。
こちらの判断がズレていることもあります。

謝れる大人は、実は強い。
謝れない大人は、実は弱い。

私はそう思っています。

子どもの“言い分の正しさ”を認める

子どもの言葉には、例え道理は通らなくても真実が含まれていることがある思います。
時に、大人が”常識”と捉えていることの矛盾を、するどく突く。

その言葉を、感情的にならずに受け止め、理解を示し、説明できるかが問われる。

なぜ、校則で茶髪が禁止されているのか。
なぜ、ピアスはダメなのか。
なぜ、門限を守らないといけないのか。
なぜ、スマホの制限をかけられないといけないのか。

「そういうルールだから」なんて説明は聞き飽きています。
真剣に、言葉で向き合う必要がある。

どれだけ伝えても、納得がいかないことはあるでしょう。
譲れぬルールは毅然と伝え、堅持する。

しかし、子どもの意見の中にある“正しい部分”は、必ず認めたいです。

幅の広い関わり方をする

”指導する”という本質はなんでしょうか?
具体的に何をするのでしょうか?

思うにそれは、幅の広い関わりです。
例えば、

  • 認める
  • 叱る
  • 謝る
  • 教わる
  • 関心を示す

これらすべてが指導でしょう。

一方的に教えることや、上から押しつけることだけが「指導」ではありません。
子どもとやり取りしながら、必要な場面で必要な関わりを選び取っていく
この幅の広さこそが、児童指導員の指導の姿であり、職務そのものだと思います。

魅力ある児童指導員がそろうと現場は変わる

魅力ある児童指導員がそろう施設は、
本当に空気が違います。

場が落ち着く。
子どもたちの表情が柔らかくなる。
スタッフも余計な消耗をしていない。

その理由はシンプルで
技術より、人間性が効く世界だから でしょう。

研修で得たスキルや知識ももちろん大事ですが、
最終的には “わたしという人間そのもの” が問われる世界。
それが、児童指導員の現場だと思います。

児童指導員の仕事の本質

児童指導員は、名称に“指導”という文字が入っていますが、
本質は 対人支援そのもの

「知識を教え施す」
「正しい方向へ導く」

こうした関わりが必要な場面もあります。
ただし、これらだけに偏ると、一気に“一面的な大人”になります。

もちろん技術や知識は欠かせません。
しかし、それ以上に問われるのは私たちの 人間性・価値観・人生経験 です。

ときには、こちらの弱さや迷いまで含めて向き合う。
児童指導員は、まさに 体当たりの対人支援 だと思います。

そしてこの本質は、児童指導員に限った話ではありません。

  • ソーシャルワーカー
  • 社会福祉士
  • 精神保健福祉士
  • 児童福祉司
  • MSW
  • SSW
  • 相談支援専門員

あらゆるソーシャルワークの現場にも共通すると考えます。

まとめ

児童指導員という名称には、相変わらず違和感があります。

大人が下手に出ろという話ではありません。
枠組みを示すためには、対等性の感じられる関係にいる必要はあります。
それでも、

  • 子どもを下に見ない
  • 間違ったら謝る
  • 教える時もあれば、教わる時もある
  • 個別性を尊重する

この姿勢は守っていたい。

これから児童指導員を目指す方、
あるいは今まさに現場で奮闘している方へ、
届くものがあれば嬉しいです。

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