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学校と児童相談所の見えない壁をこえて―連携の難しさと子どもの可能性―

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学校の先生との連携って、どうしてうまくいかないんだろう?つらいなぁ…。

学校の先生と児童相談所の児童福祉司。

どちらも「子どものため」を思って働いている(はず)なのに、連携の場面ではすれ違うことが少なくありません。

たとえば、「なぜ児童相談所は動かないの?」「なぜ学校はそんなに指導にこだわるの?」といった誤解や行き違い。
そこには、立場や価値観の違いだけでなく、「正しさ」と「ままならなさ」への向き合い方の差があると感じる。

この記事では、現場で感じてきた“学校と児相の見えない壁”について、率直にお伝えします。

書いた人:ぱーぱす(社会福祉士・精神保健福祉士)
自治体で働くソーシャルワーカー。児童相談所などでの実務経験をもとに発信。
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学校と児童相談所のあいだにある“見えない壁”

―子どもの「可能性」をどう信じるか―

児童相談所の児童福祉司として働く中で、学校の先生方との連携は欠かせません。
子どもが通っているのは学校であり、担任や学年主任、生徒指導担当など、多くの先生と日々やり取りをします。

その中でよく感じるのが、同じ子どもを支援しているのに、見ている景色が少し違うということです。

正しさへのこだわりと、ままならなさへの向き合い方

学校の先生方と話していて感じるのは、「正しいことを伝え、正しく導く」という意識がとても強いということです。
教育の現場では、子どもをより良い方向へ導くことが使命ですから、当然のことだと思います。

一方で、児童相談所の仕事は、“正しさよりも現実に向き合う”側面があると思います。
福祉の現場では、「正しい・間違い」だけで割り切れない、ままならない状況に多く出会います。
たとえば、虐待家庭への支援では、「指導すれば変わる」とはいかない現実があります。

「体罰はやめてください」と伝えても、それだけで行動が変わる家庭ばかりではありません。
体罰という行為の背後には、親自身の生育歴やストレス、孤立など、さまざまな要因が絡んでいます。

指導”ではなく“関係の構築”が必要になる。
しかし、そこは時間がかかるうえ、結果もすぐには見えません。

学校から「ちゃんと指導したんですか?」と言われることもあります。
その気持ちも理解できます。

でも、児童相談所ができるのは“完治”ではなく“応急手当”のようなことが多いのです。
傷口をふさぐことはできても、完璧な治癒には時間と環境の力が必要。
その部分を、地域の支援機関や学校にバトンタッチしていく、というのが現実です。

「人は指導すれば変わる」という信念

先生方は、子どもたちと日々関わる中で、「人は関わりで変わる」という成功体験をたくさん持っておられます。

叱る・励ます・見守る。
そうした積み重ねで子どもが成長していく姿を見てこられた。
だからこそ、保護者にも「伝えれば変わるはず」と信じたいのかもしれません。

大人を支援するということは、短期的な指導ではなく、長い時間と信頼の積み重ねを要します。

たとえ本人が「自分を変えなければ」と気づいたとしても、
その変化には、これまで生きてきた時間の倍以上の努力と覚悟が必要です。

ましてや、「変わりたい」と思っていない人を、他者が変えようとすることは、ほとんど不可能です。
それどころか、私はそれを“人への敬意を欠く行為”ですらあると感じています。
そしてそうした態度で関わる以上、うまくいかないのです。

ネガティブケイパビリティと、自己保身のはざまで

福祉の現場では、「どうなるかわからない状態に耐える力」=ネガティブケイパビリティが求められます。
白黒つかない現実の中で、それでも支援を続ける。
ときに「問題が起きたら自分の責任になる」という恐れと隣り合わせです。

そのため、人は無意識のうちに「誰かのせいにしたい」という心理に陥ることもあります。
自分を守りたい気持ち、リスクを避けたい気持ち。
これは支援者にも自然に起きることです。

だからこそ、自分の感情を自覚(自己覚知)しながら、冷静に「子どものためにどうすべきか」を考える。
それが児童福祉司の大切な姿勢だと思います。

子どもの“変わる力”をどこまで信じるか

学校の先生方は、子どもの可能性を強く信じて、根気よく関わり続けておられます。
それは本当に尊い姿勢です。

一方で、児童福祉司の立場から見ると、「本人の努力だけに期待しすぎると危うい」という感覚もあります。

たとえば、知的障害のある子が万引きや家出を繰り返してしまう場合。
先生方はその子を信じて丁寧に指導されますが、私は本人だけでなく、家庭・交友関係・地域・サービスなど、環境を変える視点を重視します。

そのため、「子どもの力を信じきれない」と映ることもあるかもしれません。
しかし、これは悲観ではなく、「環境が人を変える」という前提で支援を考えているからです。

学校と児童相談所の間にある“正しさ”のずれ

教育職と福祉職。
この2つは、正解ありきの立場と、正解を模索する立場という違いがあるように思います。

どちらも間違いではありません。
しかしこのずれが、時に対立を生むのだと思います。

児童相談所の職員は、「どうして自分たちの仕事はこんなに苦しいんだ」と感じている人も多いです。
その背景の一つに、こうした価値観や期待の違いがあるのではないかと私は思います。

“顔の見える関係”がすべての出発点

現場で実感するのは、顔の見える関係ができているかどうかで、連携の質が変わるということ。
電話や文書だけのやり取りでは、どうしても誤解や不信感が生まれやすい。
直接会って話すことで、はじめて「同じ子どもを支えている」という実感や温度感を共有できます。

その重要性については、こちらの記事でも詳しく書いています。

さいごに

この記事は、現場で感じるままの私の考えを書いたものです。

すべての学校の先生がそうだというわけではありませんし、児童相談所が正しいとも思っていません。

ただ、「なぜ分かり合えないのか」を考えることが、相互理解の第一歩になる。
そう信じてこの記事を書きました。
何かお役に立てたら嬉しいです。

参考資料

学校と児童相談所の連携課題を取り扱った研究論文もあります。
非常に実態に即した内容で、興味深いものです。

≫PDF:『児童相談所からみた学校との連携の諸問題-インタビュー調査の結果から-』石川美智子(2019)

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