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知的障害グレーゾーンと非行・触法行為――児童相談所ケースワーカーとして思うこと

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児童相談所で児童福祉司としてケースワーカーをしていると、非行・触法行為の背景に、見落とされた軽度の知的障害があるケースに何度も出会います。

「いつか伸びる」
「知的障害なんて言ったらかわいそう」
「普通の未来を」
と願う大人の気持ちはわかります。

ただ、その「普通でいてほしい」が、結果として子どもを一番しんどい場所に追い込んでしまうこともある――それが、現場で痛感している結論です。

筆者:ぱーぱす(社会福祉士・精神保健福祉士)
自治体で働くソーシャルワーカー。児童相談所などでの実務経験をもとに発信。
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思春期に児童相談所へつながる子どもたちの現実

児童相談所には、中学生・高校生くらいの思春期の子どもについて、さまざまな相談が入ってきます。

  • 家出
  • 万引き
  • 学校不適応
  • 学力不振
  • 自転車盗
  • 飲酒
  • SNSでのパパ活
  • 性的搾取
  • ボヤ騒ぎ

いわゆる虞犯・触法行為として扱われるものです。
相談元は、保護者、警察、学校などさまざまです。

もちろん背景は一人ひとり違いますが、現場でよく見かけるパターンがあります。

「軽度の知的障害が背景にあるのに、判定を受けておらず、支援学級などの配慮もない。保護者も本人もそのことに気づいていない」

このパターンです。

軽度の知的障害に気づかれないまま育つしんどさ

「勉強ができない子」で片づけられてしまう

何がつらいかというと、本当は小学生の頃から学力がずっと低く、学校でも「勉強ができない子」と認識されていたにもかかわらず、

  • 「いつか伸びる」
  • 「知的障害なんて言ったらかわいそう」
  • 「普通の未来を歩ませたい」

といった大人の思いから、特別支援や配慮につながらないことがある点です。

学校の先生が判断を迷うこともあれば、保護者が強く拒否することも珍しくありません。
何が本人のためになるのか」は本当に意見が分かれるところです。

早期に特別支援につながった子どもの場合

一方で、幼少期から特別支援クラスに在籍し、

「自分はこういう特性がある」

と受け入れて育ってきた子は、比較的のびのびと学校生活を送っているケースも多いです。

  • 先生が特性を理解して、必要な配慮をしてくれる
  • 得意・不得意をふまえた卒業後の進路を一緒に考えてくれる

苦手さが見立てられたうえで、将来を一緒に組み立てていける状態です。

普通学級で「頭が悪い」「適応できない」と見られ続けた場合

一方、軽度の知的障害があっても、本人も保護者も認めず、普通学級で過ごしてきた子どもはどうなるか。

  • 「頭が悪い」
  • 「成績が悪い」
  • 「適応できていない」

といったラベルで見られ続けていく中で、わからないことを「わからない」と言えなくなっていきます

「わからないと言ったら、馬鹿にされる」

という学習が積み重なってしまうからです。

結果として、

  • 授業についていけない
  • 知らないことばかり増えていく
  • ますます追いつけなくなる

という悪循環に入ります。

「非行グループ」に居場所を見つけるまでの流れ

毎日学校に行っても、授業が全くわからない状態が続けば、子どもはどうなるか。

  • 不登校になる
  • クラスを飛び出す
  • 欠席が増える
  • 同じように学校に馴染めない仲間とつるみ始める

不登校になって家に引きこもる子もいます。
一方、いわゆる「非行グループ」に居場所を見つける子もいます。そこで起きやすいのが、

  • 飲酒
  • 喫煙
  • 夜間徘徊
  • 家出

といった行動の拡大です。

「勉強を問われない世界」の方が、子どもにとっては適応しやすいこともあります。
だからこそ、そこに居場所を見つけてしまうわけです。

いったん浸かった世界から引き戻すむずかしさ

しかし、いったんそうした世界に深く浸ってしまうと、児童相談所に相談が入った段階から、まっとうな道に戻すことは極めて難しいのが現実です。

  • 強い刺激のある不適切な環境
  • そこでのルールや価値観
  • 「ここなら自分でいられる」という感覚
  • 既にできあがった人とのつながり

こうしたものに長く晒されているほど、問題構造を理解すること自体が困難になります。

一時保護の時点で「軽度の知的障害があります」と伝えても……

一時保護をして、心理士が知能検査を行い、そこで

「軽度の知的障害があります」

とわかったとします。

では、それを伝えたときに、本人は受け入れられるのか。

答えはほとんどの場合、NOです。

  • 「努力の問題だ」
  • 「こんなに話せるのに障害なわけがない」
  • 「自分は普通じゃないのか」

保護者も本人も、まずはガードを固めます
ショック、驚き、傷つきが先に立つのは、ある意味で自然な反応です。

中高生にもなれば、

  • アイデンティティができつつある
  • 友達関係や遊びの世界もできている

その段階で急に、

「実はあなたは違うグループの人です」

と言われても、到底受け入れられないのです。

「グレーゾーン」の子どもが社会の歪みを引き受けてしまう

特別支援が必要だと、誰の目から見ても明らかな子は、比較的つながりやすいです。

しかし現実に問題となっているのは、その“間”にいる子どもたちです。

  • がっつりと知的障害があるわけでもない
  • かといって定型発達とも言い切れない

いわゆるグレーゾーンの子どもたちです。

この層が、社会の歪みを一身に引き受けざるを得ない立場に置かれている
これは、日本社会における大きな課題だと感じています。

知的障害と健常のグレーゾーンをどう判断するか――保護者も学校も揺れる

グレーゾーンの子どもについては、

  • 保護者も迷う
  • 学校の先生も「頑張ればいける」「いや、難しいかもしれない」と意見が割れる

検査をしても、微妙なラインであることも多いです。
成長や環境によって能力が変動することもあり、固定的に捉えにくい。

だからこそ、早期の判断は本当に悩ましい
そして、現実としては保護者の判断が大きく影響します。

「特別支援はいやだ」
「知的障害なんて認めたくない」
「手帳もいらない、支援級にも入れたくない」

こういった思いが強ければ、その意向が通りやすいのが今の制度と運用です。

大人も「診断」を受け入れるのは簡単ではない

これは子どもに限った話ではありません。

大人の発達障害の話でも、同じようなことが起きています。

  • 仕事でつまずきが続く
  • 「もう無理だ」と感じて、ようやく受診する
  • そもそも精神科を受診すること自体が、ものすごくハードルが高い

診断を受けることへの心理的抵抗は、ある意味で自然な人間の反応です。

だから、中高生の段階で急に、

「あなたはこっちのグループです」

と言われて納得できるかというと、難しいのが当たり前だと思います。
クラスを変えること一つとっても、簡単ではありません。

だからこそ、低年齢期の「見極め」と「支援」が重要

こうした現実を踏まえると、やはり重要なのは、

就学前から小学校低学年にかけての見極めと支援

だと感じます。

  • 必要であれば、早期に特別支援教育につなぐ
  • 「普通」に合わせることより、その子の生きやすさを優先する

無理に「普通」に合わせようとすると、将来の大きなつまずきにつながり、その先には、

  • 虞犯・反抗
  • 犯罪への巻き込まれや関与

といった暗い未来が待ちやすくなります。

知的なハンディキャップがある人が「リスクだけ背負わされる」構造

知的なハンディキャップがあると、人に騙されやすい面があります。

犯罪の世界でも、

  • 指示役ではなく、現場でリスクだけを背負わされる役割

を担う人たちがいます。

そして、このリスクだけ背負わされる立場に回されるのは、多くの場合、
知的なハンディキャップを抱えたまま大人になった人たちだと感じています。

一方、指示役になるのは、知的障害はないけれど、別の意味での課題(反社会的な価値観など)を抱えた人たちであることが多い。

こうして、

もともとは被害者だった子が、やがて加害者として手を染めていってしまう

という連鎖が生まれてしまう。
それを防ぐには、低年齢期に教育や判定についてよく相談し、適切な支援につなげていくことが必要です。

児童相談所・児童福祉司として感じる限界と無力感

児童相談所としても、児童福祉司・ケースワーカーとしても、できるかぎりは尽くします。

ただ、率直に言えば、

変わりたいと思っている人しか変えられない

という限界があります。

児童相談所は、刑務所のように矯正する場所ではありません。
そして、そもそも刑務所であっても、人の内面を変えることはできないと感じています。

  • 罰によって「やってはいけない」と学ぶことはある
  • しかし、それで明日から人が別人のように変わるわけではない

これは、大人も子どもも同じです。

さらに言えば、知的なハンディキャップがあると、物事の理解が不十分で、失敗を失敗として積み上げることが難しいという特性もあります。
そのため同じ失敗を繰り返しやすく、結果として更生の道のりがいっそう険しくなる。

だからこそ、グレーゾーンの子どもたちの更生は至難なのです。

ソーシャルワーカーとしてできることは、どこまでなのか。

本人が心から
「変わりたい」
と思っているのであれば、支援は届きます。

私たちソーシャルワーカーにできるのは、

  • 本人や家族が“気づく”きっかけをつくるため、
  • 選択肢や情報を提示する
  • 必要な問いを投げかける
  • 変わろうとする動きを支える

せいぜい、そこまでです。
問いかけが大切なのは、こちらの記事でもお話しています。

「変える」のではなく、「変わろうとする人を支える」。
ここが、支援の本質だと感じています。

「変わりたくない」「今のままでいい」と思っている人を、
他者が力づくで変えることはできません。
本人が変わりたいと思える“体験・経験・きっかけ”が必要なのです。
上から指示、指導をしても、意味がないのはそのためです。

しかし、失敗を失敗として受けとめられず、
積み重ねることができない子どもは、
そもそもその出発点にすら立てないことがある。

だからこそ現場のケースワーカーは、

  • 無力感に打ちひしがれ
  • 期待に応えられない申し訳なさを抱え
  • 不全感にもさいなまれ

それでもなお、

「より良い方法はないか」
「今よりマシな道はないか」

と、考え続ける。
私も、その一人です。

児童自立支援施設は「万能な解決策」ではない

ここまで、ただただ苦しい現実を書き連ねてきました。

読んでいる方の中には、
「それなら、いっそのこと施設に入所すれば良くなるのでは?」
と思われる方もいるかもしれません。

たしかに、児童自立支援施設は選択肢のひとつです。
その判断は児童相談所が行いますし、一定の効果がある場面もあります。

しかし――児童自立支援施設を夢物語のように考えてはいけません。

多くの場合、児童自立支援施設は、

  • 強制的に外部の刺激をシャットアウトし、
  • 大人の目が常に届き、
  • 厳しい規律が保たれた環境です。

そのため、施設にいる間は大きな問題には至りません。
非行グループとも物理的に切り離され、世間とも隔絶されている。
きちんとしている”ように見える”のは、ある意味当然です。

本当の問題は「施設を出たあと」に訪れる

問題は退所後です。

一度浸かった世界の刺激は、忘れられない。
これは本当に、現場で痛感します。

不適切行為・触法行為・虞犯行為には、
子どもたちを引き寄せる独特の魅力・引力があります。

  • かつての仲間
  • あのときのスリル
  • 勉強も努力もいらない「居場所」

こうした要素に、再び吸い寄せられてしまう。
退所後に“反動”が起こりやすいのは、このためです。

だからこそ、
児童自立支援施設が“万能な解決策”だと思ってはいけない。

子どもにとっては、しばしば
「刑務所に近い」と感じられる場所でもあります。

子どもが施設に入るのは誰のためなのか?

最後に、私が現場で強く感じている問いを置きます。

子どもが施設に入ることで、本当に助かるのは誰なのか?
子ども自身なのか?
それとも周囲の大人(保護者・学校・関係機関)なのか?

いったい誰の利益のために、子どもは施設に入るのか。

私たちは、この問いを自分の胸に突きつけながら支援にあたらなければならない。

ときに“大人の都合”が、「子どものため」という耳障りのいい言葉に包まれてしまう場面がある。
”厄介な子ども”を遠ざけたいだけなのに、それにすら気づかず、“正しさ”を語る大人もいる。

私は、そうした構造に加担する側の大人にはなりたくない。

その実感を込めて、ここに書き残しておきます。

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