文章を書くときと、誰かに話すとき。
同じ自分なのに、出てくる言葉の“質”がぜんぜん違うと感じませんか?
私は2025年頃から、ブログの書き方を変えました。
タイピング主体の執筆から、語り → 整える方式へ。
この変更が、仕事にも効いてきていて、正直ちょっと驚いています。
この記事では、
「書く言葉と話す言葉の違い」
「語りベースで書くメリット」
「ソーシャルワーカーの話す筋力」
について、私の体験をもとに整理していきます。
書く言葉と話す言葉は、そもそも別物だった
私は2025年の終わり頃、ブログの書き方を大きく変えました。
以前は、完全にタイピングで文章を仕上げていました。
一文字一文字手で打ち、全体を組み立てるやり方です。
けれど、ある時期からうまくいかなくなりました。
- 書く時間が取れない。
- 文章構成に悩む。
- モチベーションも落ちていく。
それでも「書きたい」という気持ちだけは残っていました。
中途半端にやるのはしんどい。
やるならやる、徹底的にやりたい。
その瀬戸際で、止まっていました。
そんなとき、ふと思いついて Googleの音声入力を使ってみたんです。
昔は精度が低かったのに、今は8〜9割はそのまま入力される。
残りの誤字を直すだけで、タイピングより圧倒的に負担が軽い。
それで気づきました。
文章を書くより、語ったほうが“本音がまっすぐ出る”。
書く行為はどうしても、理性が働きます。
冷静で、外向きで、公式感が強い。
丁寧だけれど、温度感が冷めやすい。
一方、語りは違って、
怒り、迷い、ニュアンスなどがそのまま言葉になります。私の場合。
だから私は「音声入力のほうが、自分の本音を記事にできる」と気づきました。
語りベースに切り替えた結果、記事の生産性が一気に上がった
語りをベースに、誤字を直し、構成を整える。
今はこの方法で書いています。
するとどうなったか。
- ペースが圧倒的に上がった
- 伝えたいことが湧いてくる
アウトプットが増えると、自然とインプットも増えます。
仕事へのフィードバックも大きい。
最近の私は、毎日のようにスマホに向かって話しています。
これ、人に見られたら、かなり怪しいです…。
でも、この習慣がそのまま、面談や説明の場で活きてくるのも実感しています。
話す・説明するには“筋力”がある
改めて痛感したのは、
話す、伝える、説明する
これらは筋力ということ。
私は以前、説明が分かりやすいと言われる時期がありました。
でも、ある時期から全く言われなくなった。
たぶん理由は、“話す機会”が減っていたから。
使わない筋肉は落ちる。
それと同じ理屈だと思いました。
話すには、口を動かす、脳を動かす必要があります。
まさに運動と共通しているでしょう。
だから今は、語る機会が増えて、説明する時に 言葉が出やすい。
「あ、前のように話せる感覚が戻ってきたな」と感じています。
ソーシャルワーカーこそ“話す習慣”を持ったほうがいい
私たちの仕事は、まず相手の話を聞くことが基本です。
聞く時間が長いのは当然で、必要でもあります。
ただ、いざこちらが伝える場面になると、
言葉が出てこなくて、その間に、また相手が話し出す。
そんな経験はないでしょうか?(私はあります)
悪いことではありませんが、
「伝えるべきことを伝える」局面で詰まると、支援も進みにくい。
だから、話す筋力は鍛えておいた方がいいと思うんです。
方法は何でもいい。
家族との会話でも、同僚との雑談でも、音声日記でも。
私のやり方(Google音声で語り → 文字化)は極端かもしれませんが、
ひとつの選択肢としてはおすすめできます。
やってみると意外とスッキリするし、
自分の癖や口癖にも気づけます。
私は”まあ”とか”ええ”などのノイズが多かったです。恥ずかしい。
でも効果は、確かにあります。
関連記事3つ
話すことは筋肉と同じで、鍛えられる。
だからコミュニケーションの力も鍛えていける。
今、コミュニケーションが苦手だと感じている人も、
「社会福祉士に向いていない」「精神保健福祉士に向いていない」と絶望する必要はありません。
コミュニケーション能力の1つとして、私は “方便を使えること” を挙げています。
これは嘘をつくという意味ではなく、ソーシャルワーカーが日々担っている“調整”の中身です。
事実は変えず、伝え方を変える・タイミングを選ぶ・情報を取捨選択する。
クライエントにとって最善になるよう、私たちが工夫していく行為です。
私自身、学生の頃は話すことが苦手でした。
「伝わらない」と強く感じ、ゼミの先生に相談へ行ったこともあります。
そのとき先生が言ってくれたのは、
「何より、伝えたいと思う気持ちが大事だ」 という一言でした。
私が今のスタイルにたどり着けたのは、モデルとなる先輩方の存在があったからです。




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