「なんとかしてあげたい」
相談支援をしていると、そんな気持ちになることがあります。
私もそうです。
児童相談所、精神科、障害福祉。
いろいろな現場で相談支援をしてきました。
全力で体当たりしていた時期もあります。
「自分が関わったからには良くなるはずだ」
そう信じていた時期もありました。
でも、現場経験を重ねる中で、ある違和感を持つようになりました。
こちらが必死になるほど、うまくいかないケースがある。
むしろ自分が疲弊し、相手も動かなくなってしまう。
そんな経験を繰り返した結果、今の私はあるマインドセットを大切にしています。
それは、
「これはこの人の課題だ」
という考え方です。
もちろん「無責任になろう」という意味ではありません。
ただ、相談支援を長く続けるためにも、そして当事者自身が自分の人生に取り組むためにも、私はこの考え方が大切だと思っています。
相談支援で「相手の課題」を背負いすぎてはいけない理由

私は、自分の相談支援の持続性、そして当事者が自らの課題に取り組む姿勢という観点でも、
原則として「これはこの人の課題だ」というマインドを保ち続けることが大切
だと思っています。
いろいろな紆余曲折を経て、今思うのは、
「言っても人ごとだしな」と、自分に少し言い聞かせるぐらいでちょうどいい
ということです。
私にとっては、そのくらいの距離感のほうが合っています。
どちらかと言うと私は、背負い込みすぎるタイプです。
人の課題なのに、自分の課題として捉えすぎてしまうところがあります。
だからこそ、そう思うのかもしれません。
支援者が潰れてしまう理由
「他人の課題を自分の課題として捉えること」の弊害は、大きく言えば2つあります。
まず一つ目は、
支援者自身が折れる、続かない、潰れてしまう
ということです。
仕事を継続できなくなる、という話でもあります。
相談支援のケースは一つではありません。
二つ三つでもありません。
10件、20件、30件以上と対応していきます。
児童相談所であれば、
- 虐待が改善しない家庭
- 親の病気で養育が難しい家庭
- 非行や犯罪を繰り返す子ども
などがあります。
障害分野であれば、
- 一人暮らしを希望しているが踏み出せない人
- 幻覚や幻聴があっても治療につながらない人
- 支援につながらない人
などもいます。
いろいろな課題が相談として舞い込んできます。
その一つひとつを、
「自分の課題だ」
「自分がどうにかしなきゃいけない」
と抱え込んでいたら、人は潰れると思います。
異常な状態だからです。
そもそも、人は自分の人生を生きるだけでも大変です。
- 仕事
- 家族
- 自己実現
- 健康
- お金
生きていれば悩みは尽きません。
その上で私たちが向き合うのは、
「熊が出ました」
「盗賊に襲われました」
という瞬発的な危機ではありません。
もっと持続的で、じわじわと続く問題です。
私は、じわじわと首を絞められるようなストレスだと思っています。
だから今の時代を生き抜くには、真剣になりすぎないことも必要なのだと思います。
少し肩の力を抜く。
少し余白を持つ。
ハンドルで言えば「遊び」の部分です。
その遊びがないと、人は倒れてしまいます。
当事者の力を奪ってしまうこともある
「他人の課題を自分の課題として捉えること」のもう一つの弊害は、
当事者が自分の課題に取り組まなくなる可能性があることです。
これは、とても重要な話だと思っています。
こちらが本気になればなるほど、
「なんとかやっていきましょう」
「私が支えます」
という姿勢になればなるほど、
クライエントが依存的になることがあります。
「この人が何とかしてくれる」
「この人に任せておけば大丈夫」
というスタンスになることがあります。
すると、自分の課題なのに取り組まなくなります。
力を出さなくなります。
ある意味、パワーレスになってしまうのです。
私は、
人は『変わろうとしている人』は支援できても、『変わりたくない人』は変えられない
と思っています。
もちろん情報提供はできます。
気づきを促す対応もできます。
ただ、最終的に動くかどうかは本人次第です。
どこで暮らすか。
病院へ行くか。
仕事を続けるか。
親とどう関わるか。
障害とどう向き合うか。
最終的に決めるのは本人です。
それなのに、「変わらないのは私の責任だ」と捉え続けると、支援者だけが疲弊していきます。
そして結果として、
相手の課題を奪ってしまう
ことにもなります。
相談支援の主体は常に相手にある

だから私は、
背負い込みすぎないことは、支援の質を高めるためにも必要
だと思っています。
支援の主体をどう相手に戻していくか。
そのためには、
- こちらが肩代わりしすぎない
- 気合を入れすぎない
- 相手より前に進みすぎない
- 「どうしますか?」と問う
こうした姿勢が大切だと思っています。
もちろん例外はあります。
命に関わる場面。
今まさに危険がある場面。
そういうときは介入が必要です。一時的に、パターナリズム的なかかわりが意味をもつタイミングはあります。
ただ、これが原則になってしまうと、次につながらなくなります。
だから結局、
主体は相手にある
ということを意識し続ける必要があります。
自分が主人公になってはいけない。
相談支援とは、そういう仕事だと思っています。
「言うても人ごとだしな」と自分に言っていい
だから私は時々、
「言っても人のことだからね」
と自分に言い聞かせます。
誤解してほしくないのは、
無責任になれという話ではありません。
関わった以上、責任はあります。
ただ、100%の責任ではありません。
病院へ行くかどうか。
引っ越すかどうか。
仕事を辞めるかどうか。
最終決定と行動は当事者の課題です。
一方で、
- どう関わるか
- どう伝えるか
- どう支援するか
これは自分の課題です。
人の行動や考えを操作できると考えるのは、ある意味おこがましいことだと私は思います。
かといって、私たちに力がないわけでもありません。
できるのは、その人の中にある火種に風を送ることです。
火をつける手伝いをすること。
たぶん、それぐらいです。
火種のないところに火をつけることまでは、できない。
私はそう考えています。
まとめ|支援を続けるために必要な距離感
相談支援を続けていると、
どうしても背負い込んでしまうことがあります。
でも、
- 自分のメンタルを守るため
- 支援の主体を相手に置き続けるため
この二つのために、
時には
「なんだかんだ言っても人ごとだしな」
と自分に言葉をかけてもいいと思います。
特に背負い込みやすい人に、この言葉を送りたいです。
無責任になるためではありません。
支援を続けるためです。
相手の力を引き出すためです。
そして究極的には、
私たちの支援がなくても、その人が自分の人生を歩いていけるようになるためです。
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