PR
児童福祉

ひよった自分と向き合った日|それでも決める児童相談所の児童福祉司としての覚悟

スポンサーリンク

もう続けられないかもしれない。
もうやっていけないかもしれない。
向いていないのかもしれない。
やめたほうがいいのかもしれない。

しんどくて、辛い。
最近、そこまで追い込まれたことがありました。

児童福祉司として、また社会福祉士・精神保健福祉士として10年以上働いていても、私は時にこうした思いにとらわれます。

これはおそらく私の特性でもあるのでしょう。

誰しもが必ずそうだとは言いません。
ただ、こういう人間もいるのだと、そう思って読んでいただければと思います。

筆者:ぱーぱす(社会福祉士・精神保健福祉士)
自治体で働くソーシャルワーカー。児童相談所などでの実務経験をもとに発信。
スポンサーリンク
この記事を書いた人

方針をめぐる対立と批判

あるケースで、私は一つひとつ判断と決断を積み重ねながら対応していました。
これが妥当ではないか。正しい判断ではないか。許容できるのか、できないのか。

そうやって積み上げてきた方針に対して、第三者である支援機関から異論が出ました。
しかも、その方は一定の権威ある立場の人でした。

児童相談所はAという方針を決めた。

しかし、ある支援機関の人が「Bをするべきだ」と主張した。

すると別の機関も
「その人がBだと言っているのだから、Bにすべきではないのか」
「なぜBにしないのか。それは不作為ではないのか」
と、批判を強めてきたのです。

これは、決して珍しいことではありません。

児童相談所で働いていれば、所属の方針と他機関の方針が一致しないことは日常的にあります。

会議で説明を求められ、批判を受けることもある。

現場で向き合っているワーカーであれば、一度は経験しているのではないでしょうか。

だからこそ、児童福祉司の立場はストレスフルです。

支援の仕事であるにもかかわらず、感謝よりも批判や追及の方が多いと感じることもあります。

就職前には想定していなかった現実が、業界のスタンダードとして存在しているのです。

誰のリスクを、誰が背負うのか

虐待対応では、
「一時保護すべきだ」
「なぜしないのか」
と迫られることもあります。

一方で、
「もう保護解除するのですか?」
「施設入所にすべきでは?」
と、逆方向の圧力もあります。

感じるのは、皆それぞれに子どものことを心配している一方で、自分たち自身のリスクも感じているということです。

子どもの命が救えなかった時、
メディアや社会から、どんな言葉をかけられるだろうか?

きっと、自分で自分を責め、周りからも責められる。

「もし自分がその立場になったら」

そう思わない人はいないでしょう。

もし命を救えなかったら。
その事実と向き合うことになったら。

そのとき、仕事を続けられなくなる人がいても不思議ではありません。

実際に辞めていく人もいるし、メンタルを病む人もいる。

私だってどうなるかわからない。
その状況の中で働き続けています。

児童相談所は「決断の仕事」である

児童福祉司の多くは、「子どものために」「より良い社会のために」と思っているはずです。

しかし、その思いがあっても、方針について追及されることはあります。

では、強い立場の人の意見に合わせればうまくいくのか?

答えは、そうではありません。

それはまた別の誰かが泣く決断になるだけです。

私は以前から、児童福祉は決断の仕事だと言っています。
今回もまさにそうでした。
▶ 児童福祉司は決断する仕事だ|児童相談所の現場で問われる覚悟と責任

権威ある人がBと言ったからBにする。
それでうまくいくなら、こんなに簡単なことはありません。

児童相談所は、情報を積み上げ、相談を重ね、援助方針会議で決定します。

援助方針会議では、社会診断、行動診断、心理診断、医学診断など、多角的な視点からアセスメントが行われます。

「診断」という言葉が使われるのは、医師の診断だけを特別扱いしないためです。

現場で見ている児童指導員や心理職の見立ても、同等に重みを持つという前提があります。

だからこそ、医師の意見と対立することもあります。

医療の範疇を超える部分については、児童相談所という組織が決断する仕組みになっているのです。

組織が守ってくれるのか

他機関と対立する。
意見が噛み合わない。
緊張関係に陥る。

そのときに問われるのは、「組織は自分を守ってくれるのか」という点です。

もし、対立した瞬間に切り捨てられるのであれば、それは組織対応とは言えません。
そんな不安定な状況では、責任ある決断などできない。

だからこそ、対立が想定される場面ほど、組織としての意思決定が必要だと私は思います。
(しかし、これが実は当たり前ではないのです)

7対3の決断の苦しさ

今回のケースは、0か100かで決められるものではありませんでした。

せいぜい、7対3。

いずれはBにせざるを得ない可能性も想定される、そんな微妙さを含んだ判断でした。

だからこそ揺れました。

本当にこれでよいのか?

もし、〇〇と言われたらどうしよう?

数日間、思い悩み、落ち込みました。

俺は、ひよっていた

体を動かし、眠り、ストレスケアをして迎えたある日、ふと思いました。

「俺は、ずいぶんひよっていたな」と。

腹をくくっていなかった。
児童福祉司は、腹をくくってやる仕事です。

理論を整理する。
情報を積み上げる。
議論を重ねる。

しかし最後に残るのは、結局「腹をくくる」ということです。

根性論、精神論のようですね。
古い人間に思われるかもしれません。

しかし、児童福祉司には、どうにもこうにも、そうした精神がなくては務まらない側面があると思うのです。

批判を受けても、感情的な攻撃を受けても、毅然と向き合う。
それが求められる気概だと、私は思います。

不安になったら、まず書き出す

もし不安になったら、まず不安な点を全部書き出す。
一つひとつ検討し、自分の意見を書き出す。

そして、必ずストレスケアをする。

基本は、食事・睡眠・運動です。

メンタルが落ちると、自分の状態をモニタリングする機能も弱ります。

しんどくなっていることに気づきにくくなる。
センサー自体が鈍るのです。

だからこそ、習慣は崩さないほうがいい。
今回、それを改めて痛感しました。

自分でコントロールできること

周囲の支え、上司、同僚、組織の状況。
それらは大きな影響を持ちます。

しかし、自分で完全にコントロールできるものではありません。
周りのことだからです。

最終的に自分でコントロールできるのは、

  • 何を食べるか
  • どう眠るか
  • どれだけ運動するか
  • どんな生活習慣を続けるか

つまり、コントロールできるのは、自分が何をするかです。
自分で自分を整えるのが確実です。

それでも、苦しい仕事だ

児童福祉の現場には、ハラスメントもあります。

「SNSに名前を出すぞ」と脅されたこともあります。

暴言や感情的な批判を受けたことも何度もあります。

様々なやり方で、法律スレスレの脅しを受け続けたこともあります。

支援機関から強い言葉を受けることもあります。

こんなに心を疲弊させる仕事は、なかなかありません。

それでも、法整備や支援体制が整い、現場の心理的安全性が少しでも守られることを願っています。

そして今日もまた、腹をくくって立ちます。

児童福祉は、決断の仕事です。

最後に、私が大切にしている児童相談所の虐待相談プロセスにおける児童福祉司のコンピテンシーモデルの一部を引用させていただきます。

今さらいうまでもないが、虐待のある子どもや家族に向き合うことは、批評的に調査し診
断をするのではない。

また、こちらが安全な場所にいて、問題を抽象的に告発するものでもない。
時には自己の全存在そのものをかけて、子ども、保護者と向き合う。

虐待対応が社会的使命である児童福祉司は、社会や関係機関からだけでなく子ども、保護者からもその存在を鋭く問われ続けている。

児童福祉司の業務は、消防士、警察官と同じように人命を守る「使命感」「勇気」が必要である。

また、様々な「ケースワーク」「援助」の中で、虐待対応においては、高い職業倫理観・真筆な態度が求められること、生き方そのものが問われ続けることを、強く認識せざるを得ない。

その専門性の真髄は、子どもや保護者自身が人間としての誇りを失わないこと、そして「人を信じる」「子どもや家族を大切にする」という人として当たり前の、本来の姿と強さに着目し、引き出すことである。

このような言葉に、私は何度も立ち返っています。
迷い、揺れ、それでも決める。

児童福祉司は、批判されることもある仕事です。
それでも、子どもを中心に据えて決断する。

奮い立たせ過ぎれば燃え尽きます。だから休息も取る。
しかし最後は、腹をくくる。

それが、児童相談所の児童福祉司の現実だと思っています。

この記事を書いた人
ぱーぱす

自治体で働く社会福祉士・精神保健福祉士|現場経験15年、地域・医療・行政の3つの立場を経験。ブログ歴6年、記事約400本。福祉職のキャリアや生活に役立つ実践的な情報を発信しています。

詳細プロフィールはこちら

フォローしていただけると、ブログ更新がわかります!
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント