ソーシャルワーカーの仕事は、全力で向き合う連続です。
子どもや家族、利用者さんの人生に関わるからには
「中途半端ではいけない」と感じる方は多いです。
でも、100%で走りつづけるような働き方は、どこまで続けられるのでしょうか?
頑張りすぎた同僚や後輩たちが折れていく姿を、たくさん目にしました。
やる気のあった人が、
まじめで目標のあった人が、
燃え尽き、休み、辞めていく。
自分自身、「もうダメかもしれない」と何度、思ったか。
明日は我が身。
だからこそ、
私は8割で走るという選択を、あえてするよう心がけています。
対人支援は、短距離走ではなく長距離マラソンだと強く思うのです。
これは、ソーシャルワーカーとして働く以上、避けて通れない働き方のお話です。
3月の街と、マラソンの記憶
3月になると、各地でマラソン大会が盛んに行われます。
街を歩いていても、
「〇日から〇日までマラソン開催のため交通規制があります」といった看板をよく目にします。
私の記憶の中で、マラソンをきちんとやっていた時期といえば、小学生の頃です。
毎年、おそらく1月から3月頃にかけて、小学校の周辺コースを走る大会がありました。
タイムを競うマラソン大会。
そのための練習の日々、そして本番がありました。
練習も本番と同じコースを走ります。
練習の取り組み方には、子どもそれぞれに違いがありました。
練習でも、私はいつも全力でした。
手を抜くことなく、本気で向き合っていました。
だから、順位は良い方でした。上位1~2割には入っていたと思います。
ところが、本番になると、私はいつも通りの全力を出しているのに、順位は落ちるのです。
だいたい2~3割あたりまで下がるのでした。
「どうしてだ?」
当時は不思議でした。
しかし今振り返ると、当たり前のことだったのだと思います。
練習では力を抑え、本番で全力を出し切る。
そういう取り組み方をしている子どもが、たくさんいたのです。
マラソンはしんどい競技です。
しんどい練習でどれだけ頑張っても、本番の成績に直結するとは限らない。
ある意味、要領よく手を抜ける子どもたちにとっては、それが自然なやり方だったのでしょう。
しかし当時の私は、練習と本番で順位が変わるという現象が、不可解だった。
練習は少し手を抜き、本番で全力を出す。
練習で手を抜くという選択が、どうにも理解できなかったのです。
子どもの頃の自分は、大人になっても続いている
子どもの頃の自分の傾向というのは、大人になってもどこか続いているものだと思います。
練習であっても全力で取り組む。
その生真面目さは、今の私にも通じるものがあるように感じます。
ただ、それは同時に息苦しさでもあります。
力を抜くことが苦手。
常に全力でありたい。
そういう気質は、私の成長を促してもくれましたが、
ソーシャルワーカーたる自分を、さんざんに苦しめる要因ともなりました。
全力を出せば、必ず結果が出るわけではない
ソーシャルワーカーとして対人支援の現場に立つようになって、強く実感したことがあります。
自分が全力を出しても、他人の結果が出るわけじゃない。
確かに、自分のことは、自分が頑張れば少しは良くなります。
結果が出やすい。
でも、自分がどれだけ頑張っても、他人の状況は良くならない。
むしろ、悪い影響を与えることさえある。
自分が全力であること、そして誰かにも全力を求めることは、独りよがりとも言えます。
それが支援というものだと、気づいたのです。
8割で走るという生き方
だから、私は徐々にわかりました。
練習では8割。
本番で10割。
そういうスタンスの生き方も、十分に「あり」だと。
”遊び”を残したスタンスから得られるしなやかさ、柳のような強さは確かにあります。
私はそれを、”少しずるい”と感じていましたが、
しかし合理的でもある。
今の世の中は、むしろ8割で働くスタンスを持てる人の方が、メンタルを保ちながらやっていきやすいのではないでしょうか。
「手を抜く」という選択肢を持つ
仕事でも、家事でも、子育てでも。
適度に手を抜くことは、とても大切です。
手を抜いても、自分を責めない。
8割の自分でも大丈夫だと思える。
そうした幅、ゆとり、遊びのあるスタンスは、
人生を長く続けるうえで、逆に力強く働くと思います。
スポーツは勝ち負けが明確です。
しかし人生は、勝ち負けでジャッジできない。
白黒はっきりつくものばかりではありません。
支援の現場にある「ままならなさ」
私たちが支援する人たちの生活や社会は、白か黒かでは割り切れません。
- 一般就労したい。
- 結婚したい。
- パートナーがほしい。
- 車がほしい。
- 家がほしい。
- 収入がほしい。
- 居場所が欲しい。
- やりがいを見つけたい。
そうした思いを抱えながら、作業所に通う人たちがいます。
児童虐待の分野でも同じです。
虐待がすっぱりなくなるとか、
不適切養育がきれいに解消されるかと言えば、
そうカンタンではありません。
親にとっても、非行や反抗傾向のある子どもにとっても、状態が一気に改善することはほぼありません。
白にも黒にも振り切れない。
不安やリスク、すっきりしない感覚を抱えながら進んでいく。
それが世界なのだと思います。
長距離マラソンとしての対人支援
だからこそ思うのです。
8割でも十分だと思えるスタンスは、大切だ。
「手を抜け」という話ではありません。
けれど、生き方や思考としての余白はあった方がいい。
支援する側にとっても、支援を受ける側にとっても、その方が長続きしやすいのではないかと思います。
有給休暇を取る。
休憩時間があるなら、きちんと取る。
よく休むことなくして、よく働くことはできません。
常に全力だからといって、結果が出るわけではない。
全力であれば誰かに褒めてもらえるかもしれませんが、それを目的に走り続けては、いつか必ず息切れします。
他者評価のなかに生きることは、自分の人生の舵取りを他人にゆだねることです。
対人支援も仕事も、長距離マラソン。
短距離走ではない。
苦しい状況でも、切迫した場面、確かにあります。
一時的にフルパワーを出すこともある。
でも、そんな自分に気づたら、8割に戻す。
こうしたスタンスでやってきたからこそ、私のような繊細メンタルでも、
児童相談所で比較的、長く働き続けられているのだろうと思います。
昔の私のままだったら、きっと途中で降りていたでしょう。
もちろん、降りるためのはしごは、いつも私の隣にあります。
その選択肢があると思えるから、むしろ私は、安心して前に進み続けられるのです。
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しかも、そのゴールは果てしなく、簡単には見えません。
だからこそ、自分でゴールをつくる。
そうやって燃え尽きを防ぎ、モチベーションを保つ工夫をしてきました。
長く対人支援を続けること。それを、生まれ持った資質やセンス、能力で乗り切れる人もいます。
でも、少なくとも私のように、そのままでは生きづらさを感じる、なんとなくうまくいかないと感じている人には、新たな武器、いわばオプションパーツが必要です。
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どれだけ工夫を重ねても、「やはり自分は向いていないのでは」と思うことはあるかもしれません。私にも、あります。
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