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ソーシャルワーク

8割で走るという選択|ソーシャルワーカーが燃え尽きないための働き方

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ソーシャルワーカーの仕事は、全力で向き合う連続です。

子どもや家族、利用者さんの人生に関わるからには
「中途半端ではいけない」と感じる方は多いです。

でも、100%で走りつづけるような働き方は、どこまで続けられるのでしょうか?

頑張りすぎた同僚や後輩たちが折れていく姿を、たくさん目にしました。

やる気のあった人が、
まじめで目標のあった人が、
燃え尽き、休み、辞めていく。

自分自身、「もうダメかもしれない」と何度、思ったか。

明日は我が身。

だからこそ、
私は8割で走るという選択を、あえてするよう心がけています。

対人支援は、短距離走ではなく長距離マラソンだと強く思うのです。

これは、ソーシャルワーカーとして働く以上、避けて通れない働き方のお話です。

筆者:ぱーぱす(社会福祉士・精神保健福祉士)
自治体で働くソーシャルワーカー。児童相談所などで十数年の実務経験あり。
このブログでは、福祉を学ぶ人・働く人が明日から使える視点を持ち帰れるよう、現場の知見や考察をもとに発信しています。
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この記事を書いた人

3月の街と、マラソンの記憶

3月になると、各地でマラソン大会が盛んに行われます。

街を歩いていても、
「〇日から〇日までマラソン開催のため交通規制があります」といった看板をよく目にします。

私の記憶の中で、マラソンをきちんとやっていた時期といえば、小学生の頃です。

毎年、おそらく1月から3月頃にかけて、小学校の周辺コースを走る大会がありました。

タイムを競うマラソン大会。

そのための練習の日々、そして本番がありました。

練習も本番と同じコースを走ります。

練習の取り組み方には、子どもそれぞれに違いがありました。

練習でも、私はいつも全力でした。

手を抜くことなく、本気で向き合っていました。

だから、順位は良い方でした。上位1~2割には入っていたと思います。

ところが、本番になると、私はいつも通りの全力を出しているのに、順位は落ちるのです。

だいたい2~3割あたりまで下がるのでした。

「どうしてだ?」
当時は不思議でした。

しかし今振り返ると、当たり前のことだったのだと思います。

練習では力を抑え、本番で全力を出し切る。
そういう取り組み方をしている子どもが、たくさんいたのです。

マラソンはしんどい競技です。

しんどい練習でどれだけ頑張っても、本番の成績に直結するとは限らない。

ある意味、要領よく手を抜ける子どもたちにとっては、それが自然なやり方だったのでしょう。

しかし当時の私は、練習と本番で順位が変わるという現象が、不可解だった。

練習は少し手を抜き、本番で全力を出す。

練習で手を抜くという選択が、どうにも理解できなかったのです。

子どもの頃の自分は、大人になっても続いている

子どもの頃の自分の傾向というのは、大人になってもどこか続いているものだと思います。

練習であっても全力で取り組む。

その生真面目さは、今の私にも通じるものがあるように感じます。

ただ、それは同時に息苦しさでもあります。

力を抜くことが苦手。
常に全力でありたい。

そういう気質は、私の成長を促してもくれましたが、
ソーシャルワーカーたる自分を、さんざんに苦しめる要因ともなりました。

全力を出せば、必ず結果が出るわけではない

ソーシャルワーカーとして対人支援の現場に立つようになって、強く実感したことがあります。

自分が全力を出しても、他人の結果が出るわけじゃない。

確かに、自分のことは、自分が頑張れば少しは良くなります。
結果が出やすい。

でも、自分がどれだけ頑張っても、他人の状況は良くならない。

むしろ、悪い影響を与えることさえある。

自分が全力であること、そして誰かにも全力を求めることは、独りよがりとも言えます。

それが支援というものだと、気づいたのです。

8割で走るという生き方

だから、私は徐々にわかりました。

練習では8割。
本番で10割。

そういうスタンスの生き方も、十分に「あり」だと。

”遊び”を残したスタンスから得られるしなやかさ、柳のような強さは確かにあります。

私はそれを、”少しずるい”と感じていましたが、
しかし合理的でもある。

今の世の中は、むしろ8割で働くスタンスを持てる人の方が、メンタルを保ちながらやっていきやすいのではないでしょうか。

「手を抜く」という選択肢を持つ

仕事でも、家事でも、子育てでも。

適度に手を抜くことは、とても大切です。

手を抜いても、自分を責めない。

8割の自分でも大丈夫だと思える。

そうした幅、ゆとり、遊びのあるスタンスは、
人生を長く続けるうえで、逆に力強く働くと思います。

スポーツは勝ち負けが明確です。

しかし人生は、勝ち負けでジャッジできない。
白黒はっきりつくものばかりではありません。

支援の現場にある「ままならなさ」

私たちが支援する人たちの生活や社会は、白か黒かでは割り切れません。

  • 一般就労したい。
  • 結婚したい。
  • パートナーがほしい。
  • 車がほしい。
  • 家がほしい。
  • 収入がほしい。
  • 居場所が欲しい。
  • やりがいを見つけたい。

そうした思いを抱えながら、作業所に通う人たちがいます。

児童虐待の分野でも同じです。

虐待がすっぱりなくなるとか、
不適切養育がきれいに解消されるかと言えば、
そうカンタンではありません。

親にとっても、非行や反抗傾向のある子どもにとっても、状態が一気に改善することはほぼありません。

白にも黒にも振り切れない。

不安やリスク、すっきりしない感覚を抱えながら進んでいく。

それが世界なのだと思います。

長距離マラソンとしての対人支援

だからこそ思うのです。

8割でも十分だと思えるスタンスは、大切だ。

「手を抜け」という話ではありません。
けれど、生き方や思考としての余白はあった方がいい。

支援する側にとっても、支援を受ける側にとっても、その方が長続きしやすいのではないかと思います。

有給休暇を取る。
休憩時間があるなら、きちんと取る。

よく休むことなくして、よく働くことはできません。

常に全力だからといって、結果が出るわけではない。

全力であれば誰かに褒めてもらえるかもしれませんが、それを目的に走り続けては、いつか必ず息切れします。

他者評価のなかに生きることは、自分の人生の舵取りを他人にゆだねることです。

対人支援も仕事も、長距離マラソン。
短距離走ではない。

苦しい状況でも、切迫した場面、確かにあります。
一時的にフルパワーを出すこともある。

でも、そんな自分に気づたら、8割に戻す。

こうしたスタンスでやってきたからこそ、私のような繊細メンタルでも、
児童相談所で比較的、長く働き続けられているのだろうと思います。

昔の私のままだったら、きっと途中で降りていたでしょう。

もちろん、降りるためのはしごは、いつも私の隣にあります。

その選択肢があると思えるから、むしろ私は、安心して前に進み続けられるのです。

関連記事

対人支援がマラソンに似ているという感覚は、児童指導員にも当てはまります。
しかも、そのゴールは果てしなく、簡単には見えません。

だからこそ、自分でゴールをつくる。
そうやって燃え尽きを防ぎ、モチベーションを保つ工夫をしてきました。

長く対人支援を続けること。それを、生まれ持った資質やセンス、能力で乗り切れる人もいます。

でも、少なくとも私のように、そのままでは生きづらさを感じる、なんとなくうまくいかないと感じている人には、新たな武器、いわばオプションパーツが必要です。

その選択肢については、こちらの記事で紹介しています。

どれだけ工夫を重ねても、「やはり自分は向いていないのでは」と思うことはあるかもしれません。私にも、あります。

だからこそ伝えたいことがあります。こちらの記事にまとめました。

この記事を書いた人
ぱーぱす

自治体で働く社会福祉士・精神保健福祉士|現場経験15年、地域・医療・行政の3つの立場を経験。ブログ歴6年、記事約400本。福祉職のキャリアや生活に役立つ実践的な情報を発信しています。

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