私が児童福祉司として働き始めて、5年以上が経ちました。
すると、いつの間にか

児童福祉司のスーパーバイザー研修を受けてほしい
と言われるようになりました。
正直に言います。
その話を聞いたとき、私の中に浮かんだのは、前向きな気持ちではありませんでした。
スーパーバイザーをなめてんじゃねえ。
そんな拒否反応でした。
謙遜しているわけではありません。
児童福祉司としてたかだか5年ほど働き、研修を受けた人間を「スーパーバイザー」と呼ぶこと自体に、強い違和感があるのです。
児童福祉司のスーパーバイザーとは
児童福祉法第13条第5項には、「指導教育担当児童福祉司」が規定されています。
他の児童福祉司が仕事をするために必要な専門的技術について、指導や教育を行う児童福祉司です。
任用されるには、原則として児童福祉司としておおむね5年以上勤務し、国が定める研修課程を修了する必要があります。
また、一定の実務経験がある人については、おおむね3年以上とする例外もあります。
また、配置基準は、児童福祉司おおむね5人につき1人とされています。
≫根拠法:児童福祉法第13条第7項 (e-GOV法令) および 児童福祉法施行令第3条第2項(e-GOV法令)
法律上の正式な言葉は、あくまで指導教育担当児童福祉司です。
ところが、国の通知や児童相談所の現場では、指導教育担当児童福祉司を「児童福祉司スーパーバイザー」と呼んでいます。
研修も「児童福祉司スーパーバイザー研修」という名称です。
≫参考:児童福祉司等及び要保護児童対策調整機関の調整担当者の研修等の実施について(令和8年3月31日こ支虐第92号)(PDF)
研修は28.5時間で、2泊3日程度の日程を2回実施します。
その間には、実際に他の児童福祉司へスーパーバイズを行う実習や、筆記試験もあります。
決して、半日の研修を受けて終わりという制度ではありません。
それでも私は、この仕組みで「スーパーバイザー」という名前を付けることに引っかかります。
私が知っていたスーパーバイザーは、現場の先輩とは少し違った
私は以前、障害福祉の分野で働いていたことがあります。
そのとき、自分たちの知識や取り組みだけでは限界があると感じ、外部から「スーパーバイザー」を招いたことがありました。
お金を払い、自分たちの仕事について助言を受けました。
その人は、知識や技術だけでなく、倫理的な判断についても、自分たちより明らかに数段上にいました。
- 現場で少し経験が長い人
- 役職が上の人
- 仕事を割り振る人
私にとって、スーパーバイザーは、そのような人とは違います。
多くの実践を積み、自分自身も迷いや失敗を重ねたうえで、専門的な立場から他者の実践を支えられる人です。
単に正解を教えるのではなく、相談した側が自分の支援や判断を振り返れるようにする。
その人自身の知識、技術、倫理観が問われる仕事です。
私は、スーパーバイザーにそうしたイメージを持ってきました。
児童福祉司を5年経験すれば、「スーパーバイザー」になれるまで到達するのか
もちろん、5年間の実務経験は軽いものではありません。
児童相談所で5年働けば、さまざまな家庭や子どもに関わります。
厳しい判断を迫られることもあります。
失敗したり、後悔したり、自分の判断の甘さを思い知らされたりもします。
ただ、それだけで他の児童福祉司をスーパーバイズできる人間になるかと聞かれれば、私はそうは思いません。
児童福祉司の仕事は、5年ほどで全体が見渡せるような仕事ではないからです。
虐待、非行、障害、精神疾患、家族関係、貧困、学校との関係、医療との連携。
同じように見えるケースでも、背景は違います。
5年働いても、初めて出会う問題があります。
自信を持って決めたことが、後になって間違っていたのではないかと思うこともあります。
そんな状況で、5年働いて研修を修了したら、「今日からあなたもスーパーバイザー」です。
私は、そのように簡単に切り替えられません。
むしろ、自分に言いたくなります。
おごるな。
天狗になるな。
お前はまだ、他人の実践を高みからアドバイスできるほど、知識も技術も倫理観も身につけていない。
これは他の人への批判というより、まず自分自身に対する感覚です。
「指導教育担当児童福祉司」なら、まだ理解できる
一方で、「指導教育担当児童福祉司」と言われれば、私はもう少し受け入れられます。
- 経験の浅い児童福祉司に仕事の進め方を伝える
- 一緒にケースを整理する
- 判断に迷ったときに相談を受ける
- 危険な方向へ進みそうなときには止める
- 組織として一定の役割を担う
児童福祉司として5年以上働いたのであれば、そろそろ、その役割を引き受けなければならない。
そこは理解できます。
私も、いつまでも教えてもらう側だけにいるつもりはありません。
後から入ってきた職員へ、自分が経験したことを伝える必要はあります。
しかし、それは指導教育を担当することです。
それを「スーパーバイザー」と呼んだ瞬間、私の中では役割が一気に大きくなります。
指導教育担当児童福祉司と、スーパーバイザー。
制度上は同じ人を指しているのでしょう。
それでも、言葉から受ける印象は、私には同じではありません。
カタカナにすると、役割の中身が曖昧になる
カタカナ語は便利です。
何となく専門的に聞こえます。
何となく高度なことをしているようにも見えます。
ただ、その「何となく」のまま使われると、意味するところが曖昧になります。
スーパーバイザーとは、何をする人なのか。
後輩へ指示を出す人なのか。
ケースの進行管理をする人なのか。
専門的な助言をする人なのか。
職員の感情や支援関係を振り返らせる人なのか。
最終的な判断を引き受ける人なのか。
同じ言葉を使いながら、人によって想像している役割が違う可能性があります。
それなら、法律に書かれているとおり「指導教育担当児童福祉司」と呼べばいいのではないか。
スーパーバイザー研修ではなく、「指導教育担当児童福祉司研修」でいいのではないか。
そのほうが、何を担当する人なのか分かります。
少なくとも、研修を終えただけで、何か高い境地へ到達したような錯覚は起こりにくいと思います。
肩書が、その人の実力を追い越すのが怖い
私が一番怖いのは、研修を終えたことで、

ボクはもうスーパーバイザーだ!自分は教える側の人間だ!
となってしまうことです。
実際にそのような人がいる、と断定したいわけではありません。
ただ、その危険は私自身にもあります。
人は肩書を与えられると、その肩書にふさわしい実力がすでに自分にあるような気持ちになりやすい。
特に児童相談所では、スーパーバイザーの言葉が、経験の浅い職員の判断へ大きく影響します。
その判断の先には、子どもと家族の生活があります。
間違っても、「研修を受けたから偉くなった」という話ではありません。
役割から逃げたいわけではない
私も、指導教育担当児童福祉司としての役割を求められれば、やる必要はあると思っています。
経験の浅い職員に助言する。
一緒に考える。
必要な場面では判断する。
危険な支援を止める。
自分の経験を伝える。
その責任から、言葉への違和感を理由に逃げるつもりはありません。
ただし、研修を受けたからといって、自分が一段上の専門職になったとは思いたくありません。
「スーパーバイザー」という肩書を与えられたときほど、自分の知識や判断を疑う必要があると思います。
私は今も、果たして自分にその資格があるのかと疑っています。
その疑いが消えたときのほうが、むしろ危ないのかもしれませんが。
「指導教育担当児童福祉司」と「スーパーバイザー」は同じでしょうか
制度上は、指導教育担当児童福祉司が、児童福祉司のスーパーバイザーです。
しかし、言葉として受け取ったときにも、本当に同じでしょうか。
「指導教育を担当する児童福祉司」と聞いたとき。
「スーパーバイザー」と聞いたとき。
あなたの中に浮かぶ人物や役割は、同じでしょうか。
私は違います。
だから、児童相談所の中で「スーパーバイザー」という言葉が軽く使われることに、今も抵抗があります。
やるべき指導や教育は、やらなければならない。
しかし、その役割を大きなカタカナで包み、研修を受けた人へ簡単に渡していいのか。
児童相談所の児童福祉司の仕事は、さほどに底の浅い仕事であったか。
私はまだ、納得できていません。
関連資料
気になって、「スーパービジョン」や「スーパーバイザー」の定義を調べていたところ、次の資料に行きつきました。
≫参考:職員が育つ 職場が生きる~神奈川県社協発 福祉の職場のスーパービジョン~(PDF)
要点としては、スーパービジョンは、個人の力量だけに頼るものではなく、組織として行っていくものとして語られています。
私がこれまで持っていたイメージは、「伝統的なスーパービジョンのモデル」に近かったのかもしれません。
伝統的なスーパービジョンのモデルにおいては、バイザーとバイジーとの間で、実施方法や頻度、内容、達成目標等についてよく話し合い、お互いがスーパービジョンにコミットする責任を明確化してから開始することが望ましい
引用元:職員が育つ 職場が生きる~神奈川県社協発 福祉の職場のスーパービジョン~
一方で、現在の児童福祉領域では、スーパービジョンを個人間の関係だけではなく、組織全体の仕組みとして捉えているようです。
本研修では、スーパービジョン体制における契約とは、組織が保証するものであると考える。まず、職員間で行われている日常的な助言や指導、指示や教示、あるいは労いや励ましなどについて、これらを意識化し、明示し、それら全てがスーパービジョンなのであり、スーパービジョン体制を形作る要素であると提示する。極言すれば、それをスーパービジョンと呼称していようといまいと構わない(以下略)
引用元:職員が育つ 職場が生きる~神奈川県社協発 福祉の職場のスーパービジョン~
この考え方をもとに、スーパービジョンのイメージ図をChatGPTに作ってもらいました。

なるほど、スーパービジョンは、卓越した一人のスーパーバイザーが行うものではなく、組織全体で支える仕組みなのか。
そう考えれば、少しは理解できます。
ただ、図を眺めていると、

だからさ、そんなに構えずスーパーバイザーになっておくれ
と、組織責任者にうまく丸め込まれているようにも感じます。
そう思うと、やっぱり嫌だな、とも思ってしまうのです。
この記事が、児童福祉司のスーパーバイザーやスーパービジョンについて考える材料になれば幸いです。


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