「この人は何に困っているんだろう」
「なぜ同じことが繰り返されるんだろう」
「本当の希望はどこにあるんだろう」
ソーシャルワーカーとして働いていると、
そんなことを考える場面がたくさんあります。
そのときに必要になるのが、「見立て」です。
社会福祉士や精神保健福祉士、児童福祉司など、分野は違っても支援の土台には見立てがあります。
ただ、この見立てというものは意外と厄介です。
それは、同じケースを見ても、人によって見え方が違うから。
経験年数が長い人同士でも、違う見立てになることがあります。
私自身、現場で働く中で、見立てのズレによって支援の方向性が大きく変わる場面を見てきました。
この記事では、私が現場で感じてきた「見立て」の難しさと向き合い方について書いてみたいと思います。
この記事でわかること
- ソーシャルワーカーにとっての見立てとは何か
- なぜ見立てはズレるのか
- 見立ての精度を上げるために私が意識していること
そもそも「見立て」とは何か
私が現場で使う「見立て」という言葉は、シンプルに言えば、
事実をもとに仮説を立てることです。
例えば、ある利用者さんが、

作業所に通いたい
と言ったとします。
その言葉だけを見れば希望は明確です。しかし実際には、
- 生活リズムを整えたいのか
- 家から出る理由がほしいのか
- 人とのつながりを求めているのか
- 収入が必要なのか
背景は人によって違います。
本人が言葉にできている部分もあれば、まだ整理できていない思いもあります。
そうした背景や希望、課題、ニーズを整理しながら、
「この人はいま何を求めているのだろう?」という仮の答えを作る。
それが見立てだと私は考えています。
ここで一度、言葉を整理しておきます。
- 事実:本人の発言、観察した内容、記録など確認できるもの
- 推測:「〜かもしれない」という考え
- 見立て(仮説):事実と推測を組み合わせて作る仮の分析
なぜ見立てはズレるのか
見立てがズレる理由は、ある意味とても単純です。
情報は、人を通るたびに変化するからです。
現場ではよく、
「Aさんは〇〇らしい」
「たぶん△△が理由だと思う」
という情報が共有されます。
もちろん悪意はありません。
ただ、その中には事実と推測が混ざっています。例えば、
「Aさんは作業所に通いたいんだと思う」という推測が、
いつの間にか「Aさんは作業所に通いたいと希望している」という事実のような話になっていることがあります。
しかし実際に本人へ確認すると、まったく違う理由が出てくることも珍しくありません。
私は児童相談所でも精神保健の現場でも、「あれ、話が全然違うぞ」と思った経験が、よくあります。
だから私は、誰かの見立てをそのまま飲み込まないようにしています。
そしてもう一つ。
正直に言うと、
見立てる力には個人差があります。
経験年数だけではありません。
自分の推測と事実を区別できる人もいれば、区別できない人もいます。
だからこそ、「〇〇さんが言っていたから」だけで判断するのは危険だと思っています。
見立ては受け取るものではなく、自分で作るもの
見立ては他人からもらうものではなく、自分で作るもの。
私はこう考えています。
もちろん関係機関から情報をもらうことは大切です。先輩の意見も参考になります。
しかし、あくまで参考です。
私は情報を受け取るとき、「△△さんはこう言っていた」という形で受け取るようにしています。
そのうえで、本人に直接確認するようにしています。
この手間を省くと、(一時的には)支援の手間を減らせます。
しかし見立ての精度は下がります。
そして結果として、本人の意向を取り違えることにもつながりかねません。
私が見立てを整えるために意識していること
発信者によって情報の精度を分けて考える
同じ情報でも、
- 本人が話した内容
- 支援者の推測
- 家族の認識
- 近隣住民の話
では意味が違います。
私はまず、「誰が言ったのか」を確認します。
そして発信者そのものも見ています。
情報発信者のアセスメント
- 思い込みが強い人なのか
- 期待が入りやすい人なのか
- 事実を淡々と伝える人なのか
情報だけでなく、情報の発信者もアセスメントする。
これは関係機関にも当てはまります。
”関係機関が言っているから正しい。”
そう受け取った時、落とし穴にはまることがあります。
本人に確認するループを作る
伝聞だけで支援を決めないように、意識しています。
最終的には本人に確認すること。
それだけで誤支援は減ると思います。
もちろん、自分の見立ても外れます。間違うこともあります。
しかし、「自分で確認していなかった」という後悔は、私にもあります。
思い返すと、今でも自責を感じることがあります。
確認には時間も手間もかかります。本人に負担をかけることもあります。
それでも、やり取りを積み重ねること自体が信頼関係につながる。
そうも感じます。
第三者の見立てに乗っからない
他人の見立てに依存すると、困ったことが起きます。
例えば、説明を求められたときも「〇〇と聞いていたので」で終わってしまう。
でも、自分で集めた情報は違います。
自分の目で見て、聞いて、考えた見立てには熱量がある。
説明する言葉に、体温を乗せることができます。
もちろん、その見立ても外れることはあります。
それでも、支援の土台としてははるかに頑丈。
私はそう思っています。
見立てに正解はない
見立ては正解探しではありません。
どんなベテランでも外します。間違えることもあります。
だからこそ、「見立てを外さないこと」よりも、「なぜそう見立てたのかを説明できること」のほうが大事だと感じています。
そして、その根拠になるのは、自分で確認した事実です。
誰かの判断に乗っかるほうがラクです。でも、その代わりに失うものも大きい。
自分の成長も止まるし、本人の意向を取り違える危険もあります。
だから私は、自分の目で見て、聞いて、考える。
そうした姿勢を大切にしたいと思っています。
まとめ
見立てとは、事実をもとに仮説を作ることです。
そして見立ては、他人から受け取るものではなく、自分で作るものだと思っています。
私が大切にしていること
- 事実と推測を分ける
- 発信者をアセスメントする
- 本人確認を繰り返す
- 第三者の見立てに依存しない
正解のない相談支援だからこそ、出発点は本人の希望です。
だから私は、クライエントの気持ちは本人の口から直接聞きたい。
人づての話だけでは信じきれない。
少し面倒なやり方かもしれません。それでも、その積み重ねがソーシャルワーカーとしての見立てを育てると思っています。
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