ブログを書き続けていると、昔の記事を読み返す機会があります。
私も気づけば、6年ほどブログを書いてきました。
そして昔の記事を読むたびに思います。
「うわ、恥ずかしいな」
そんな感覚です。
でも同時に、その恥ずかしさの中には、今では失われてしまったものも残っています。
今回は、なぜ今もブログを書き続けているのか。
そして、ソーシャルワーカーとして発信を続ける中で感じている葛藤について書いてみようと思います。
何年も前の記事を読むと、正直ちょっと恥ずかしい
5〜6年前の記事を読むと、
「おい、何を書いているんだ……」
と思うことがあります。
言葉遣いも荒い。
考え方も未熟。
今なら書かない表現もあります。
正直、少し恥ずかしいです。
ただ、その一方で思うこともあります。
当時の自分は、本当にそう考えていたんだな。
ということです。
仕事で何に悩み、何に腹を立て、何に希望を持っていたのか。
当時の記事には、その時の感情がそのまま残っています。
人の記憶は残ります。
でも、歳月が経つと輪郭は少しずつぼやけます。
文章は違います。
その時に見ていた景色や考えていたことを、そのまま残してくれます。
だから最近は、
「この頃はこういうことを考えていたな」
と思いながら昔の記事を読むことが増えました。
ケースワークと「自分をどこまで出すか」という悩み
私はケースワーカーです。
だからこそ、ずっと悩んでいることがあります。
それは、
自分をどこまで出していいのか
ということです。
本音を言えば、もっと話したい。
もっと自分のことも書きたい。
でも、その先にはクライエントがいます。
自分の発信によって、誰かに不利益が及ぶ可能性がある。
そう思うと、どうしても理性のブレーキがかかります。
福祉の実践は、何を成したかによって説得力が変わる部分があります。
だから時々思います。
「このぱーぱすって、結局何もやっていないんじゃないか」
そう見えているかもしれないな、と。
実践を詳しく語れば秘匿性の問題が出てくる。
語らなければ説得力が弱くなる。
この矛盾は、今も抱えています。
「ぱーぱすって何者?」が伝わりにくい理由
これだけ記事を書いていても、
「結局この人は何者なんだろう」
と思われることはあると思います。
児童相談所の記事を書き、
社会福祉士の記事を書き、
精神保健福祉士の記事を書き、
転職の記事も書く。
読む記事によっては、別人に見えるかもしれません。
プロフィールも最低限しか出していません。
記事の中には散りばめていますが、すべてをまとめて発信しているわけでもありません。
記事ごとに文体が違うのは、成長の跡だと思っています
長くブログを書いていると、
記事によって温度感が違います。
思い入れの強い記事もあります。
検索流入を意識して書いた記事もあります。
力の入り方も違います。
だから、「記事によってキャラクターが違う」と思われることもあるかもしれません。
それはある意味、仕方ないことだと思っています。
ブログを書きながら文章を学び、試行錯誤し、時には離れ、また戻ってくる。
そうやって続けてきました。
振り返ると、結局私はブログが好きなんだと思います。
収益はほとんどない。それでも続ける理由
正直に言います。
収益だけを見るなら、効率は良くありません。
ではなぜ続けているのか。
最近は、今の仕事を続けるためなのかもしれないと思うようになりました。
児童相談所の仕事は、重圧があります。
日々いろいろなことがあります。
考えることも多い。
迷うことも多い。
だからこそ、外に向けて書くことで整理できる部分があります。
ブログは私にとって、
浄化作業であり、ガス抜きであり、思考整理の場です。
ブログがあるから、日々の出来事もインプットとして受け止められる。
辛い経験にも意味を見出しやすくなる。
それが私にとってのブログの価値なのだと思います。
プライベートを出せない葛藤
本当はもっと暮らしの話もしたいです。
家庭の話もしたい。
趣味の話もしたい。
でもケースワークという仕事をしている以上、越えられない線があります。
自分のことを出せば出すほど、読者さんとの距離は縮まるかもしれません。
ただ、その代償として守れなくなるものもある。
だから私は、その限界線を探りながら書いています。
この葛藤は、おそらく今後も続くと思います。
AIを使う時代だからこそ、自分の語りを大事にしたい
最近はAIも活用しています。
構成の相談をしたり、整理を手伝ってもらったりすることもあります。
ただ、土台にあるのは自分の経験です。
AIが文章を書ける時代だからこそ、
個人の体験や迷い、その人にしか語れない話には価値があると思っています。
だから最近は、以前よりも自分自身の体験を書くようになりました。
誰が読むかわからなくても、書いている
正直に言うと、
「これ誰が読むんだろう?」
と思いながら書く記事もあります。
今回もそうかもしれません。
それでも、定期的に読んでくださる方がいるなら、
「ぱーぱすはこういうことを考えながら書いているんだな」
それが伝われば十分です。
そして、ブログを書き続けられているのは妻の存在も大きいです。
理解があるからこそ、今も続けられています。
本当に感謝しています。
それでも私は、文字で伝え続けたい
今は動画の時代です。
TikTokもあります。
YouTubeもあります。
情報発信の手段は増えました。
それでも私は、文字で学ぶ文化はなくならないと思っています。
私自身、何かを調べる時は今でも文字で調べます。
文字には、立ち止まれる良さがあります。
考えられる良さがあります。
読み返せる良さがあります。
動画より優れていると言いたいわけではありません。
ただ、私には文字が合っていました。
だから今も文字を書いています。
これからもお読みいただけると、たいへん嬉しいです。
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人生で一番学んだのは現場でした。
失敗、悩み、そして、出会ってきた人たちから。
同時に、本からもたくさん学びました。
現場だけでは得られない視点を、本は何度も与えてくれました。





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