同じ「福祉」という言葉でも、分野が変わると、前提となる考え方は驚くほど違います。
私は、障害者福祉を経て、現在は児童福祉の現場で働いています。その中で強く感じたのは、「自己決定」と「責任の所在」の重さが、これほどまでに異なるのかということでした。
大人の支援では、本人の意思が最優先です。
一方で、児童福祉では、子どもの意思だけで完結することはありません。
どちらが正しいという話ではありません。
法律の構造が違い、責任の置きどころが違い、支援する対象の前提が違うのです。
私自身、両方を経験したからこそ、その違いの大きさを痛感しています。
この記事では、そうした私自身の実務経験をもとに、
児童福祉と大人の福祉分野の決定的な違いについて整理してみたいと思います。
大人の分野は「本人の意思」が最優先
障害者福祉では、たとえ精神障害があっても、発達障害があっても、
「本人が希望しているかどうか」がとても大きな要素でした。
親の意向や第三者の意見は、影響がゼロではありませんが、基本的には限定的です。
なぜなら、責任を負うのは本人であるという法的な位置づけがあるからです。
- どこで暮らすのか。
- どのサービスを使うのか。
- 障害者手帳を申請するのかしないのか。
原則として本人が決めます。
これは憲法にも保障された自己決定権に基づく考え方です。
そのため、精神の分野で働いていた頃は、
- 本人のペース
- 本人の意思
- 本人の同意
こういったワードが、毎回のように話題に上がりました。
また、秘密情報の扱いも極めてセンシティブです。
本人の同意を前提に情報を扱う。
これが原則でした。

児童福祉では「自己決定」で終わらせられない
一方で、児童福祉は大きく異なります。
子どもは未成年です。
成年と未成年では法的責任の所在が違います。
未成年の法的責任を負うのは保護者や親権者等です。
そのため、「子どもが望んでいるから」という理由だけで完結することはありません。
むしろ、
- 親の責任
- 保護者の養育能力
- 支援機関の責任
が強く問われます。
秘密の扱いも同様です。
子どもの「言わないでほしい」という希望があったとしても、
それが命や安全に関わる場合、共有せざるを得ないことがあります。
児童福祉では、本人の了解なく情報を共有するという判断のハードルが、大人の分野より相対的に低い。
この違いはとても大きいと感じました。
行政との違和感――「本人は望んでいるのか?」
障害者福祉で働いていた頃、強い違和感を覚えた出来事があります。
生活保護のケースワーカーから、ある依頼を受けました。
生活保護受給を始めた精神障害のある方についてです。

「精神障害者保健福祉手帳の申請を進めてください」
「その他の支援もお願いします」
私は当時、こう返しました。
「ご本人はそれを望んでいるのですか?」
精神障害者保健福祉手帳は、メリットだけではありません。
- 障害者というレッテルへの抵抗感
- 自己認識への影響
- 等級によっては金銭的メリットが限定的
ためらう方は少なくありません。
それなのに、本人の意思が曖昧なまま申請を進める。
そこに私は疑問を持ちました。
さらに言えば、それが単なる事務的な手続きであれば、
ケースワーカー自身が担うべき業務ではないのかとも感じました。
「その他の支援」についても具体性がなく、
ただ支援機関をつなげておきたいという、ケースワーカーの意図だけが透けて見えました。
私は当時、「ご本人の意思があるなら支援を行います」と伝えました。
今の私でもきっと、似たような対応をするでしょう。
行政の側には、どうしても
- 制度につなぐことを優先する
- 手帳取得を前提に考える
- サービス利用を早期に進める
という“パッケージ化”の発想が働きやすい側面があります。
しかし、人は制度や機関の都合で動くものではありません。
もし制度の枠に当てはめること自体が目的になっているのだとすれば、
それは支援というよりも、管理的・保護的な関わりに近いものだと私は感じます。
児童福祉から障害者福祉への移行の難しさ
現在、児童福祉で働く中で、知的障害のある子どもを担当することがあります。
将来、大人になったとき、
社会との不適合や生きづらさが生じるだろうと予測されるケースもあります。
では、児童相談所から障害者福祉につなげばよいのか?
そこに、また同じ問いが立ち上がります。
「本人はそれを望んでいるのか?」
障害という言葉を受け入れていない段階で、
相談支援事業所につなげようとしても、実際には継続しません。
ここでは再び、自己決定の要素が強くなるのです。
子どもだから言いなりになるだろう。
子どもだから強制できるだろう。
もしそのように自己決定を軽く見ていると、
移行の場面でしっぺ返しを受けることになります。
児童相談所と障害者福祉の連携は重要だと言われますが、
強制的につなげようとしても、結局は継続しません。
大切なのは、「本人のタイミングを見極めること」だと感じています。
もっとも、知的障害の程度や本人の理解力によって、判断や対応の在り方は変わります。その点を踏まえたうえでの見極めが必要です。

失敗する権利と気づきのプロセス
福祉の分野で私たちができることは何か。
それは、
本人が「相談したい」と思える状態に近づけることではないかと思います。
- 自分には困りごとがある
- 支援を受けたい
- 話を聞いてくれる人が必要だ
そうした気づきや自覚を持ってもらうこと。
一度、支援が途切れることもあるかもしれません。
本人が「自分でやってみる」と社会に出て、つまずくこともあるでしょう。
しかし、自覚なくして次の一歩はないとも感じています。
もちろん、致命的な失敗は避けたい。
命や人生を大きく損なう失敗は、防がなければなりません。
けれども、
すべてを先回りして転ばぬ先の杖を出し続けることが、
結果として
- 自覚を奪い
- 主体性を奪い
- 責任感を奪い
- 選択する力を奪う
ことにもなり得ます。
「失敗する権利」という言葉を、障害者福祉の分野でよく耳にしました。
これは子どもにも通じる視点だと思っています。
水辺まで連れて行くことはできる
私たち支援者ができることには限界があります。
水辺まで連れて行くことはできる。
しかし、水を飲むかどうかは本人の意思でしかない。
困ったときに相談できる場所があること。
その扉の存在を知っていること。
その場所の人に、歓迎してもらえるようにしておくこと。
そこまで整えておくことが、私たちの役割なのかもしれません。
分野が違えば「正しさ」も違う
児童福祉と大人の福祉。
行政と民間。
それぞれの分野には、それぞれのスタンダードがあります。
自分たちの常識が、他の分野でも共有されていると思うのは誤りです。
この違いを理解せずに連携すると、
- ボールが宙に浮く
- 誰もキャッチしない
- 無用な摩擦が生じる
ということが起こります。
だからこそ、
「相手の分野はどんな価値基準で動いているのか」
を意識することが重要だと思います。
相手の機関が間違っているとは限りません。
前提が違うのです。
その理解がないまま移行を進めようとすると、
「どうして●●は●●してくれないのか」という不満や怒りが蔓延し、
結果として当事者に不利益が及びかねません。
何を依頼できて、何を依頼できないのか。
何が前提となり、何が重視されているのか。
まずは相手の分野や立場を理解すること。
それが、福祉職としての実務的な視点であり、責任だと私は考えています。


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