
社会福祉士・精神保健福祉士のぱーぱすです。長時間労働の日々で、疲れています…!近頃、思ったことをボヤキます。
自分は働いているのか?
いや、やはり・・・働かされているのか?
この感覚って、仕事の疲労感や満足度を左右すると思う。人生の幸福度にもつながる、大切な感覚。
「働いている」という感覚だと、疲労が少なく、やりがいが高く、満足度も高い。
「働かされている」という感覚だと、疲労感が高く、やりがいが低く、満足度も低い。
たぶん、そんな感じだろう。
などと論ずる私自身、胸に手を当ててよーく考えてみると、働かされている感覚が高まっている気がする。
そこで、この記事でボヤいてみることにした。
- 社会福祉士や精神保健福祉士のリアルを知りたい方
- ボヤキを聞いてみたい方(誰だ!?)
働いている?働かされている?【社会福祉士・精神保健福祉士のボヤキ】
労働って、キリスト教では「神が人間に与えた罰」らしい。
ってことは、そもそも労働とは「働かされるもの」なのかもしれない。
でも今の世の中で「どんな仕事をするのか」は、「どんな罰を受け入れますか?」という切り口では語られない。
もっと、幸せになるために、自己実現に関わる事柄として、
- 楽しいことを仕事にしましょう
- やりたい仕事をやろう!
- 自己実現を目指そう
こういった視点で仕事は選ぶもの。
それが幸せになる生き方、正しい生き方、「みんな、楽しく働いてますか?」という感じ。
残業を終えて夜中に帰宅、風呂に入りながらYouTubeを観ていると、楽しそうに配信しながらお金を稼げていそうな人がゴロゴロと目に入ってくる…。
まさに「働いている」人たち。好きでやっていて、やりがいも収入もあるように見えてくる。
ところが自分は、朝にスマホで目覚ましアラームをかけても起きるのツラくて2回、3回と延長している。
まさに「働かされている」人・・・とは認めたくないけれど、仕事でツラいときがあるのは事実。
社会の中、組織の中で働くということは、「嫌なこと」でもやらねばならない。
「他人の要求」にそって動くことが必要になる。
理想的には、社会福祉士、精神保健福祉士、ソーシャルワーカーとして、「働いている」という感覚でありたい。
でも正直、なかなかそうは思いにくい時がある。「働かされている」という感覚が強くなることはある。
私自身、苦労を抱えながら、けっこう長く働いてきたし、同じように働く同僚たちも見てきたからそう思う。
同僚がイキイキ働く現場もあれば、「疲れたなぁ・・・」と閉塞感ただよう職場もあったな、と。
両者では「何が違ったんだろう?」と考えてみると、
1つは『働いている』のか『働かされている』のか、感覚の違いがあったかと思う。
働いている感覚が強ければ、仕事で疲れにくいし、一つ一つの意思決定も前向きに考えやすく、やりがいも感じやすい。
でも、
- 働かされているんだ
- 不本意だけど、オレはここで働かなきゃいけないんだ
- 仕事は義務なんだ
仕事を受動的・義務的に感じていると、疲労感が高いし、やりがいも少ないし、新しいアイディアも出てきにくい。
隣から見れば、まぎれもなく「働いている」んだけど、その人の感覚では「働かされている」だったりする。そんな世界観。
自分の裁量で働いているのではない。自分に自由はない、と。

早く帰りてぇなぁ。

休日はまだかよぉ。
そんな心の声が(実際にも)きこえてきそうだ。
「働かされている」感覚を「働いている」感覚にシフトチェンジしたい・・・。
とは言ってみたけど、そんな方法ってあるだろうか?
特効薬は無さそうだ。もしあったら、世のサラリーマンはみんな飛びつくよね。
だから、そこそこ効果のありそうな薬を塗るしかないんだろうな。
組織で雇われているサラリーマンの私がやっているのは、例えば次のこと。
- この仕事・職場を選んだ理由を思い出す。
- 自分の裁量で変えられることはアレンジする。服装、(休憩)時間、何でもOK。
- 仕事でも嫌なら「嫌」とひとまず言ってみる。(結局はやるんですけどね。)
- 有給休暇など、働く者の権利をなるべく行使。
効果は、たぶん、疲れている時のリポビタンDくらいはあるんじゃないかな?
そもそも「働いている」とか「働かされている」なんて、重要なことか?
あーだこーだと言ってみたけど、そもそも「働いている」とか「働かされている」なんて、重要なことなんだろうか?
要は今の働き方に不満感があるってことだけど、そもそも、人間は幸福感をずっと感じることはできない仕組み。
もし幸せな感情が永久に持続したら、人間は行動する動機を失って、何もしなくなって、死んでしまうから。
そうならないように、生存を最優先とする脳は、幸福感を消化してしまう。
幸福感なんて、定義のむずかしい言葉だけど、とにかく、ハッピーな気持ちや幸福感ってのは、持続しないようになっているようだ。
例えば、初めてA5ランクの焼肉を食べたレベルの幸福感を再現するには、同じA5ランクの焼肉を食べてもダメで、もっと美味しい焼肉である必要がある。
超一流のシェフに焼いてもらう、とか。
仕事でも同じことが言えて、
日々満足するには、前日よりも幸福度の高い出来事に遭遇する必要がある。
でもそれって、いずれ天井がくるんだよね。つまり、現実的ではない。
私たちの脳が私たちに課しているのは、幸せになることではなく、生存すること。
脳にとっちゃ、「働いている」だろうが「働かされている」だろうが、大したことではないようだ。幸福度に関わるけど、生存には直結しないから。
ただ、「働かされている」感覚があまりに強くてストレスが高まると、
脳は、私たちに不安や疲れを感じさせて、うつ病にさせてでも、その仕事から遠ざけようとするようだ。
そうやって、脳は私たちを生存させようとする。私たちが望んだ結果じゃないけれど。
とすると、「働かされている」感覚を放置しておくと、ストレスが高まって、不安や心配が高ぶって、働けなくなって、幸福と遠ざかってしまうかもしれない。
では、テコをどこに入れられるか?
「働かされている」を「働いている」に変えるのは、カンタンじゃない。
でも、次の2つの症状に対しては、有効な薬がある。
- ストレスの高まり
- 感情の暴走
その薬が何かというと・・・、運動なんだなぁ。(やっぱりか)
私たちにとって、運動は、ガッチガチのキン肉マンになるためでも、ダイエットのためでもない。モテるためでもない。
支援をタフに続けるため、感情を鎮めてメンタルを維持するため、ひいては幸福であるために、運動するんだな。
運動しても「働かされている」感覚はなかなか消えないけれど、そのストレスは小さくなる。
脳が活性化されて「働いている」にシフトチェンジする発想を得やすくなる。
運動していれば、「働いている」も、「働かされている」も、どっちでも良くなってくる。不思議と。
運動が良いことは、『筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法』や『脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方』でもかなりの説得力で説明されている。
近頃で私がいちばん説得力を感じたのは『運動脳』という本。
感情とは、脳が人間を行動させるためにつくりだしているもの、という話が実に面白い。
不安や心配は、つらいけれど必要な感情なんだ。
確かに、例えば児童福祉司に不安や心配という感情がなければ、「まだ大丈夫でしょ」って思ってしまって、児童虐待で命の危うい子どもを、みすみす見過ごす確率が高まるに違いない。
不安も心配も、支援で悩み多き社会福祉士、精神保健福祉士、相談支援を担うみなさまの、必要不可欠な感情。
そんなことも書かれているのが『運動脳』。救いになる本だった。不安も心配も、ネガティブな感情にしか思えなかったけれど、メリットに気づけて良かった。
・・・えらく話がそれました。ボヤキだから許してね。
とにかく、運動しましょう。そうしたら不思議と、仕事の不満感も減っちゃうんだなぁ。
以上、働いている?働かされている?【社会福祉士・精神保健福祉士のボヤキ】という話題でした!
では散歩に行ってきます。
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